50年後には塩の水溜りになる(前編)

 もし注意して探さなければ、全く見つけるチャンスは無い。エイン・フェシュハの正面の90号線の脇にある大きな岩の上に、前世紀初頭の死海の水位マイナス392mが記されている20㎝の長さのラインがある。イスラエルの地調査基金(REF)メンバーのアイルランド人考古学者ローベルト・マッカリスターは、船に乗って岩まで漕いで辿り着き、岩の上にこのラインを彫り込んだ。今日彼のミッションはもっと容易であっただろうが、もっと気が滅入っただろう。現在の死海の水位はマイナス435m(43m以上の低下)であり、この岩から2km程東へ歩いていかないと、どんどんと遠ざかっていく死海の海岸線には辿り着けない。

 地質学者達は、死海は先史時代の古代の海の産物であり、約1万2千年の歴史の中で山あり谷ありを通ったと考えられている。しかし死海の水位がここまで低くなったという印は何処にもない。死海の水位減少は50年以上続いている明確な一方通行であり、過去10年間で年間1.2mの想像を絶するペースに加速した。

 死海の大幅な減少は多くの被害を引き起こした。以前「海」であった場所は、現在数千個の陥没穴だらけの泥地になってしまっている。観光地は破壊され、開発計画は中止し、死海の自然や伝統にも大きな被害が起きている。もし気候変化による自然現象であったならば、国がとても誇りに思っているこの自然の不思議を救うことに全く手を出さなかったイスラエル政府を許すことも可能だ。しかし気候だけが主な原因ではなく、我々人間なのだ。

 自然界での水位は、水源(川、泉、帯水層、雨、洪水)として流入してくる水量と、蒸発する水量の均衡ポイントで安定する。この自然界に人間が関与し始める以前には、死海の水源の70%以上はヨルダン川からであり、年間約12億立法メートル(トン)の水量であった。1960年代にドラマチックなターニングポイントが発生し、イスラエルがドゥガニヤ(ヨルダン川上流)に水門を建設してガリラヤ湖から南下する水を堰き止め、その後シリアとヨルダンがヤルムーフ川の水を国内消費用に取り込んだ。

 今日ヨルダン川は死海に年間3億立法メートルの水量しか提供しておらず、水質の高い水ではない下水、塩水泉や塩水帯水層となっている。これに約40%は死海工業によって引き起こされている約1千mphの水分蒸発を追加すると、年間約7億立法メートルの水が不足している計算となる。毎年消滅している物凄い水量となっている。どれほどの水量かと言うと、全イスラエル国民の年間個人消費水量の約70%に相当する。

 以前ヨルダンが「平和の導水」アイデアを提案し、Red-Deadという名称が付いた。ヨルダンの水市場の為に紅海の海水を淡水化し、淡水化の副産物である約1,200立法メートルの塩水を死海に流し込む。科学者達は、様々なポテンシャルがある問題の為に、このアイデアを拒否した。死海までの距離が遠く、巨大なコスト、帯水層への汚染のリスクが高い、二つの頃なる水質の混合が化学生物学的反応を引き起こす恐れがあり、試さない方が優先されることなどであった。科学的な結論は、塩水の水量を最低でも3分の1にする、このプロジェクトの縮小版を実施する可能性はあるが、死海の水質の破壊を解決するものではないとした。

 今日最も取り上げられている解決案は、自然のルートであるヨルダン川を通じて死海に水を流し込む方法であり、ガリラヤ湖にはその分を新しい導水管で流入させる淡水化水で均衡を図る。新しい導水管は、国内で必要な場所に送水するシステムを介して、ガリラヤ湖と地中海の淡水化工場を結ぶ。実際にこの解決案は既に活動しているが、ドゥガニヤ水門からヨルダン川に流される少ない水量(50立方メートル)は、ナハライムの灌漑用水として汲み上げられており、そこから死海まで南下して行かない。

 これは偶然ではなく、ガリラヤ湖から11km離れたナハライムまで、ヨルダン川の両岸はイスラエル領土となっている。そこから万かするとヨルダンに川東岸へのアプローチがあり、水道局ではもし水質の高い水がヨルダン川に流されれば、ヨルダンもそれを汲み上げて結局死海まで到達しないと考えている。

 しかし全員が悲観的でもない。環境保護省の科学者達のチームがこのオプションを検討しており、この計画は地域協力の素晴らしいチャンスだと見ている。もしかするとそれを通じて死海への救いがやっと実現するかもしれない。

 ハイファ生まれで、1973年からキブツ・エンゲディのメンバーである81歳のラズ氏は生物学者であり、特に死海観光開発マスタープランなどの環境コンサルタントでもある。1990年代末期に、まだ始まったばかりの現象であった陥没穴を始めて説明した人物でもあり、2003年には自身が陥没穴に落ちて救出されるまで13時間もかかった。死海に関する公的文書を作成する人物でもある。

 「若いころから自然で過ごすのが好きだった。長年自然保護協会や自然観察学校などで働き、エンゲディに辿り着いた。エンゲディ自然観察学校の校長先生が第四次中東戦争で戦死し、彼の代理として校長になるよう依頼された。この地域が好きになりそのまま残っている」。

 「このような場所は世界の何処にも無い。死海とユダの荒野は、興味深い歴史的背景を持った素晴らしい景色を作っている。子供の頃は良くカルメル山で過ごし、その後メロン山でも過ごしたが、この死海の地域言語が理解できてまるで会話をしているようだ。地質学者と生物学者としてのバックグラウンド、そして歴史と先史時代の分野を独学で学んだお陰で、自分を囲んでいる全てのものと仲良くできる感じがする。勿論ここに住む欠点もある。もしエンゲディで医療が必要となれば、遠方まで行かなければならない。年を重ねるほどここに無い医療サービスを必要とし、現在自分もそれを経験している。しかしもう一方では、距離と隔離が多くの利点をもたらす」。

 「陥没穴は1980年以前には無かった。我々は数百万年経過した物を調査することに慣れている。現場で地質学的プロセスと作成を調査するのはとても希少なことだ。科学者としての自分にとってはとても感動することだが、個人の人間としてはここで起きている事を見るのはとても悲しい。多くの人が職場を失った。陥没穴のせいでキブツのナツメヤシ畑で労働することも不可能となり、大きな観光企画も中止することとなった」。

 「環境的・経済的ダメージ以外は、この地域のイメージ的ダメージもある。世界中から死海に人が来ていた。世界の不思議の一つと考えられており、水面下400mなんてこの場所以外には無い。エンゲディのビーチには行けなくなり、海岸線はいつも遠ざかっており、陥没穴が開く泥地を残していく。この泥地は開発にも保存にも利用不可能だ」。

 「関東としての死海のポテンシャルはまだある。我々が用意している公的書類の一部は、アプローチの問題があってもどうすれば死海で楽しむ方法が発見できるかだ。船も一つの方法であるし、いつも死海には船がある。陥没穴があまりない場所に安全道路を敷き、歩道を建設する可能性もある。死海の中にホテル建設を提案しているメンバーもいる。死海を知る限りではそれは不可能だが、夢を持つのはオーケーだ」。

 「私の夢は死海に不足している水をガリラヤ湖からヨルダン川を通じて流すことだ。様々なオプションを調べる必要があるが、最初の公的仕事は紅海から死海へ運河を引く一つのオプションを調べるしかなかった。私の提案ではヨルダン川から死海へ約25億立法メートルの水が必要となる。これは」ファンタジーではなく、ガリラヤ湖とヨルダン川も回復し、途中の部分では地域的協力も可能だ。アラブ諸国がイスラエルへの姿勢を変えた今だからこそチャンスがある。政府が今後我々が提出する書類をどう受け取るかだ。しかし今日政府関係者の優先度に無い。彼等の頭は、ネタニヤフ首相のも含めて他の場所にある」と語った。

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