ここ数年間ハイファ大学の考古学研究者が、西部ガリラヤにあるテル・カブリの3,800年前の荘厳なカナン人宮殿を発掘しており、ここは突然破壊されて放棄されていた。発掘現場では壮大なホール、数十個の壺と当時の荘厳さを表すワイン地下室が発見されている。先週末にPLOS ONE紙に発表された記事によると、研究者達は突然の破壊と放棄した原因は地震であり、遺跡で最も古い記録の一つだとしている。
ハイファ大学のアサフ教授は、考古学者達がこの荘厳な宮殿の突然の破壊と放棄の原因を長年疑問に思っていたと語った。「今日我々は地震がこの宮殿を真っ二つに裂いたことが分かっており、その結果カブリの住民は統治者達への不信感から町を放棄し、それ以降誰も住まなくなった」。
テル・カブリの宮殿はキブツ・カブリの敷地内にあり、1980年代に初めて発掘された。ここ数年間でアサフ教授とジョージ・ワシントン大学のアリック教授が発掘調査を行い、当時の壮大な生活を示す紀元前1,700年から紀元前1,900年頃の遺跡が発掘された。壮大なホール、荘厳さを表す証拠、富を表す肉の消費、ミノアクレタ島とエーゲ海の島々との貿易と文化的つながりを証明する壁画、そして一番は数十個もの大きなワイン瓶が発見された巨大なワイン倉庫には、樹脂と植物エキスが加えられた赤ワインが含まれていた。
今回の調査で判明したのは、この宮殿とそれを囲んでいる町は、紀元前1,700年頃に放棄され、二度と人が住むことがなかった。「2013年に地震ではないかと考えていたが、まずそれを証明するものを発見する必要があり、突然ではなく時間をかけた放棄の原因の諸説を否定する説明ができる証拠も必要であった。諸説の一つは環境変化もあり得る」とハイファ大学のマイケル学者は語った。
2019年の調査で発見されたものが地震であるという説を有力なものとした。その発掘によって考古学者達は、宮殿の一部を通っていた溝を発見し、近年に掘られた農業用の溝であると最初は考えられていた。しかし発掘を続けてみると30mの長さに達し、宮殿の壁の一部が溝の中に倒れていた。「この状況は突然地面が裂けて床がその溝に落ちたように見える、また戦争があった証拠が全く見つかっていない。槍や火災の跡、人骨や埋葬の証拠も見つかっていない。前回発見された倒れた壁や、今回発見された地下ワイン室の壊れた壺などを一緒くたに考慮することが可能となる」とアリック教授は語った。
今回の調査では溝で見つかった日干し煉瓦や動物の骨などが調べられ、一度に全てが埋もれたことが分かっている。ワイン瓶も保管場所で割れており、ワインの中身は下水道に流れていった証拠も残っていることから、トラウマ的な、突然で早急な事件がこの破壊をもたらしたという説明を有力なものとした。「今までの調査では、当時の住民は環境や天然資源を利用していなかったことが発見された。これは環境を大切にしていた証拠で、必要以上に利用しなかったことが分かる。とても強力な地震が起きたという証明しか見つからない」とハイファ大学のルツ教授は語った。
現地の地質はカブリ地溝帯の上に位置し、同じ地溝帯上に4つの泉があることから、活動的な地溝帯であり地震が起きる原因であったと想定するに足りる理由となる。「イスラエルではシリア・アフリカ地溝の地震に関しては熟知している。これは違う地溝帯の違う場所で起きた地震の証明である。今後の調査によってどれくらいの規模の地震であったかが計算できるようになればいいと願っている」とアサフ教授は語った。
カブリで発見された証拠によって明らかになったのは、トラウマ的な事件が統治者達の正当性を住民の間で損失させ、この居住区が壊滅することになったと思われている。