総重量57トンの2千年前の沐浴場が、発掘されたガリラヤのハモビール・ジャンクションからクレーンでトラックに乗せられ、キブツ・ハナトンに移転された。
イスラエル国交省によってガリラヤで改築されていたホモビール・ジャンクションで、6月に考古学局の考古学者達が第二神殿時代の農場を発掘し、そこには美しい沐浴場も含まれていた。これはガリラヤで初めて発見されたユダヤ人農場の跡である。
考古学局発掘責任者であるアベッド氏とワリッド学者は、沐浴場は「エルサレム」と呼ばれる古代の典型的なものであると語った。入口が狭くて広い階段があり、第二神殿時代の沐浴場の特徴である漆喰で覆われている。この沐浴場が発見された農場は、西暦363年の地震で破壊されるまで存在し、その後再建されてビザンチン時代の6世紀まで使われていたことが判明した。「沐浴場の存在により、この農場の住民はユダヤ人であったことが分かる。宗教的、信者的な生活を営み、聖書の律法に沿って身体を浄めていた」と学者達は説明している。第二神殿時代以前からユダヤ会衆にとって沐浴場は日常的に使用されていたものであり、第二神殿破壊後から今日に至っては特に必要とされている。ローマ時代にはユダヤ人の村や、オリーブオイルやワイン工場などがある農場施設の近くに沐浴場が建設された。これも清められたオリーブオイルやワインなどの農業製品を製造する前に、まず自身を沐浴場で浄める必要があったからである。
アベッド氏とワリッド学者は、「農場の沐浴場発見は、第二神殿時代のユダヤ人の日常生活に関する我々の見識を変えるものである。何故ならばガリラヤにユダヤ人の農場があったことが知られておらず、ローマ時代にユダヤ人は村や町の外に住んでいなかったと理解されていた。農場が発掘された場所と当時存在していたシヒン村や大きなユダヤ人の町であったツィポリからの距離を考慮すると、ユダヤ人は農場にも住んでいたことが分かる。もしかするとツィポリに供給していた農場かも知れない。今回の複雑な移転作戦は、発掘された遺跡の重要性への理解と、イスラエル国交省が重機まで出してくれた協力のお陰で可能となった」と語っている。
地震の破壊から約1,700年、放棄されてから約1,400年経ち、遺跡の上には大きな道路が建設されている。その道路の基礎工事中に沐浴場が発見され、発掘場所に遺跡を残しておくことが不可能であったため、岩場から沐浴場だけを切り出して他の場所に展示するというアイデアが出された。
考古学局と発掘に参加したキブツ・ハナトンのメンバー達が、協力して「沐浴場作戦」を実行した。キブツのメンバー達は古代の沐浴場を、キブツで使用している沐浴場の隣に移転することを提案した。一般建設会社によって今回の特殊な移転作戦の準備がなされ、考古学局の保管責任者が随行した。沐浴場はまず四方が切り取られ、底が切り離された後に移転中に壊れないよう鋼鉄の檻に入れられた。キブツの子供達の歓声の中で沐浴場は持上げられ、新しい場所に移転された。
今回の移転に協力したキブツのメンバー達は、「我々のキブツでガリラヤに於ける我々のルーツを歴史的または伝統的に結び付けることが出来たのがとても嬉しくて感動している。古きものを新しいものに、新しいものを聖なるものに。今回の作戦に参加できたのは光栄である」と語っている。