11世紀のセレブ:カイロ写本の希少な手紙

 返済されなかったローン、消滅した債務への要求と希少な競売。カイロ写本からの特殊で希少な西暦1054年に書かれた手紙が、20世紀に発見されたが70年間消滅していた。最近また発見され、エルサレムの”ケデム”競売所で競売にかけられ、約9万ドル(興味があるなら、開始価格から約3倍)で販売された。

 この手紙はビジネスマンであった、ラムレのサラメ・エベン・ヨセフ・エラアロニが、”友人のアブ・ファージ・シュマイヤ”宛に、エルサレムの”バブ・アルマガラ”(洞窟の門)の住所へ送ったものである。筆者は、アブ・サイード・カルパの店主に貸した金の請求を依頼している。この希少な手紙は、ユダヤ人アラビア語でヘブライ文字で書かれており、当時では普及しており、紙にインクが使用されている。

 驚くほど、サラメはどのようにローンが行われたか、非常に長い文面で描写しており、実際にはビジネスパートナーであった。彼はエルサレムからアシュケロンへ向かう途中でアブ・サイードと出会い、ラムレで泊まり、様々な事業を行う為に5ディナールのローンを依頼されたことが判明した。アラブ人のビジネスマンは、年末までに利益の一部を上乗せして基金を返金すると約束したが、約束を果たさなかった。逃げる可能性を防ぐために、有権者は彼と債権者との間の契約書は、賢者ラビ・ダニエル・ベン・アザリエの面前で行われたと指摘しており、”ヤコブの賢者”という名でも知られている、イスラエルの地ユダヤ教神学校の学長でもあった。

 また、早くも11世には”Name Dropping”と、セレブの名前を出すことが習慣であったようで、手紙には当時の有名人の名前が記されており、その中にはラムレのカライーム派の医師エベン・エルハッサン・アマル、裁判所所長ラビ・ヨセフ・ハコーヘン、その兄弟ラビ・エリヤフなどである。ところで、手紙を受け取ったシュマイヤ・アブ・ファージは、ある種の有名人で、ラビ・シュマイヤ・ガオンの孫で、エルサレムの”ヤコブの賢者”神学校の学長もある時期務めていた。

 「あなたに依頼したいのは、神があなたを守り、私のこのメモが届いたら、イェヒヤ・エルアマーニの娘の夫である、アラブ人店主のアブ・サイード・ファージに出会い、彼に私からの最高の平和の希望を伝え、私の為に5新ディナールを利益も入れて受け取って欲しい」

 「ここでどのようなパートナーシップであったかあなたに伝えるが、一緒にラムレへ下り、そこで彼と出会い、アシュケロンを往復したり、エルサレムを往復したりしていた。彼に対して:5ディナールを受け取り、異邦人の暦という意味で、年末まで神があなたを助けるように行いなさいと言った。”学長”の所まで行き、二人で一緒に契約した。彼はアシュケロンに行き、エルサレムに行って戻ってきて私に言った:”2か月間で1ディナールを得たが、無い。過越し祭のよう日にラムレへ戻る”。しかし今でも彼は来ずに、彼はアンマンに行こうと考えていると伝え聞いた。私もこの件の仲介者であり、期日も満期となり、有権者は私に請求している」

 「もし出来ることならば友人様、神があなたの偉大さを常とし、エルサレムに行かなくてもいいようにこれらのディナールを取り立て、何故なら私には痛みがあり…債権者の要求通りに私からの手紙を携帯してそれらを受け取りに来る者によって金を送り、しかし早急にして欲しい。確かに私はあなたの心の煩わしさと、この時期の精神的苦痛を知っているが、私も急ぐ圧力がかかっている;もし彼から何も受け取れないようなことがあれば、迅速に私に伝え、私が頑張ってエルサレムへ上る。しかし私はこの必要性が無いことを願っている…」。サラメ・エベン・ヨセフが友人に書いた暖かい祝福と挨拶の一部として、彼は手紙の中で、息子を襲った病気の為にシュマイヤが経験した苦痛に対する彼の悲しみを表現している。

 カイロ写本は、9世紀から19世紀の間に書かれた、ユダヤ人の手記の手紙と本の多大なコレクションである。コレクションの主な部分はオックスフォード大学にあり、研究者であったシュニオール・ザルマン・シャフターが、自分のコレクションを寄贈した。1912年にパリのユダヤ人研究会が、エリエゼル・ドブ・シャピラ教授をエジプトへ送り、4千枚の手紙を発見した。

 「シャピーラは、発見した手紙の小さい部分だけを残し、一部はエルサレムの国立図書館に販売された」と、ケデム競売所のオーナーであるマロン氏は語った。この販売された希少な手紙は、当時の日常生活を描写している。「今日まで我々が知っている有名な人達と、有名な場所が描写されている。その為にシャピーラはこの手紙を愛し、自分の手元に置いていた。ところでこの手紙の住所は、この競売所から歩いて数分の場所にある」と語った。

 その他にまた、「1953年に、シャピーラは”イスラエルの地研究、エルサレム”ファイルにこの手紙を発表したが、その後手紙が消滅し、1983年に歴史家であるモーシェ氏が、オリジナルの手紙は”今はない”と指摘している。調査した結果、手紙は個人コレクションにあり、シャピーラが購入したもののようで、そこから誰かに売られて、私達のところへ託した」と伝えている。

 彼はアイテムを売っているのではなく、仲介していると説明した。「もし託した者が、これを公共機関に渡して欲しいと言ったならば、アイテムは競売にかけられず、個人販売となって販売者が値段を要求する。時折保有者は公共機関に売ることを要求する。時にはユダヤ人機関のみ、又はイスラエル機関のみと制限することもある」。

 カイロ写本の文書販売は、世界でもとても希少であると語った。「カイロ写本の違う手紙を販売したのは、2016年11月であった。開始価格は2万ドルで、最後には14万ドルで落札された」と語った。

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