テルアビブ大学と考古学局研究者達が参加した国際チームの新しい研究により、既に紀元前16世紀にインド、東南アジアとイスラエルの間で、重要な世界的貿易が行われていたことが判明した。当時の貿易品には主に熱帯地方の食物、大豆、バナナやターメリック(ウコン)などがあり、この地域でこれらの食物が発見された最初の証拠より1千年も前のものとなる。
今回の調査は、テル・メギドとキリヤット・ガット付近のテル・エラニの墓で発見された人骨の歯から採取された食料の残骸をベースとしている。メギドの歯は紀元前16世紀、テル・エラニの歯は紀元前11世紀とされており、大豆、バナナやターメリックなどの東南アジアの食物が含まれる様々な食物の残骸が発見された。今回の調査はミュンヘン大学フィリップ教授、テルアビブ大学古代東方文化と考古学のイスラエル教授とマリオ学者、考古学局のヤニール学者とデミトリー学者によって行われ、PNAS雑誌に調査内容が発表されている。
調査員達によると、今から約3,700年前のメギドにあった市場を想像すると、メギドとテル・エラニで発見された人骨の顎に、古代のたんぱく質とミクロ石化物として発見された麦、ナツメヤシやゴマを基本とした現地の食べ物があったことが想像することが出来る。
しかしそれら以外にも大豆、バナナやターメリックの残骸も発見され、東南アジア以外でこれらの作物が発見された古代の証拠はどの世界にもない、とてもドラマチックな発見であると研究員達は語っている。イスラエルと地中海で今までに発見されたものと比較すると数百年前(ターメリック)と1千年前(大豆)になる発見となる。つまりこれは既に紀元前2千年に、メソポタミアかエジプトを通じてイスラエルと東南アジア間で熱帯地方の果物、香料やオイルなどが長期的に貿易されたいたことの証拠となる。東南アジアからメギドまでの距離をバナナが持ちこたえることは不可能であったため、バナナはドライ・フルーツとして食されていたと想像されている。
「今回の調査までには知られていなかった、紀元前16世紀には東南アジアとの貿易が存在していたことの明確な証拠である」とイスラエル教授は語った。「メギドで同じ時代の陶器の破片から分子残骸調査が数年前に行われ、バニラの輸入の証拠となった遠方との貿易の証拠が発見されている。しかし発見された食物の貿易路や運搬方法などの詳細は分かっていなかった」。
考古学局のヤニール学者とデミトリー学者は、テル・エラニで発見された墓地は今から約3,100年前の初期鉄器時代のもので、当時の日常生活に関して学ぶことを可能としてくれたと語っている。「一部の墓地では家族全員が納められており、親の隣に子供が葬られていた。埋葬者達と共に器、壺やオイルランプが供え物として発見され、次世界で使用される為の道具とする信仰があった。一部の器には動物の骨が残っており、主に羊、ヤギや死人への食糧であった」。研究者達は墓地で発見されたこれらの器を研究し、他の二箇所の墓地で発見されたようにバナナとゴマの残骸があるかどうかを調査する予定だ。
大豆は紀元前7千年ころに中国の地域で初めて栽培された。バナナはニューギニアで紀元前5千年に栽培され、その4千年後に西アフリカに到着した。しかし現在まで中東でバナナがそれ以前に普及していたことは知られていなかった。ターメリックと大豆のたんぱく質がメギドの人骨の顎で発見され、バナナのたんぱく質がテル・エラニの二個の顎で発見されており、一般社会でこれらの食料がどれだけ普及していたかまでは分からない。しかし研究者達は、これらの墓はメギドの上級階層に属した人達だと想定している。墓地の建物や供え物にそれらが見られる。また研究者達は、メギドでもテル・エラニでも人骨の顎からゴマを食していた証拠を発見しており、紀元前2千年にゴマは既に現地の台所の日用品であったことが分かっている。