非公式な祭日(後編)

5.ブシサ

 ニッサンの月1日目、リビア、チュニジア、ジェルバ、アルジェリア

 アルジェリアからイランまで様々なユダヤ人会衆で、ニッサンの月の伝統的なお祭りが守られている。これらのお祭りは公式にはならなかったが、承認されなくても大きな歓声と共に祝われている。ニッサンの月1日目に北アフリカのユダヤ人達がお祝いするのが「ブシサ祭り」で、この祭日には祝福、豊かさと成功を祈願する。家族全員が集まり、セモリナとシリアルの混合物をレンチで混ぜ合わせる。

 ニッサンの月1日目は王の新年、創世の日、神殿建設の日とイスラエル民族に10個の良い出来事が起きた日である。ブシサの前夜祭はお祝いの日で、神に今までの全ての良いことに関して感謝し、天の門を開いて全ての生き物に良いことを与えてくれる。

 神殿落成日にイスラエル部族の長たちは、「その供え物は銀のさら一つ、その重さは百三十シケル、銀の鉢一つ、これは七十シケル、共に聖所のシケルによる。この二つには素祭に使う油を混ぜた麦粉を満たしていた」(民数記7:13)の供え物を捧げた。これらの素材がブシサ祭りの中心となっており、他の素材は味付けの為となっている。

 ブシサ前夜祭に家族全員が集まる。一人ずつ順番にブシサをオイルレンチを使って混ぜ、アーモンド、ナツメヤシ、砂糖とスパイスを加えた、ローストして挽いた小麦か大麦の穀物の混合物で、漆喰に似たもの(油を混ぜた麦粉)になるまで混ぜる。各自が順番に祝福をし、残りの者は歓喜の声で呼応する。前夜祭は祝福し祝福され、安泰を受けてそれらを他人にも与えることが中心となっている。


6.エル・タワヒッド、特殊なセデル

 ニッサンの月1日目、エジプト

 ニッサンの月1日目にエジプト系ユダヤ人達は、「エル・タワヒッド」(特殊なセデル)を、祈祷と詩、歓喜と歌、食事と飲み物でお祝いする。伝統によると、このお祭りは彼らにとってユダヤ暦4大祭りの一つとなっている。前夜祭にはシナゴーグに集まり、シュマアの祈りや様々な詩を歌う。

 特殊なセデルの日には「この月をあなたがたの初めの月とし」(出エジプト記12章)と「主をほめたたえよ」(詩篇第135編)を読む。ヘブライ語とユダヤ・アラビア語の詩を歌い、祈祷もユダヤ・アラビア語で創世主への賛美と特殊性を語っている。そこから特殊なセデルと呼ばれている。

 このお祭りをお祝いするローニー学者によると、この伝統はの起源は、「このセデルの起源は、実際には古代イスラエルの地で行われていた。ユダヤ暦が決定される以前に、新月は毎回多くの市民が立ち会うユダヤ教裁判所で新月の誕生の証言がなされ、新月を宣言する権利はイスラエルの裁判所にあった。ユダヤ暦が出来た後でも、月の周期に沿って作られ、その習慣はイスラエルの地でも守られてきた」。

 ニッサンの月の前夜は、古代イスラエルの詩では「最初の月」と呼ばれており、特に盛大なお祝いが行われ、今日でも音楽と聖書を持って盛大にお祝いされている。エジプト系ユダヤ人達によって行われる特殊なセデルは、1千年以上も前から古代イスラエルの地で行われてきた習慣の末裔である。この習慣のオリジナルの姿は現在のものとは完全に違ってはいるが、この変化は20世紀初頭から現在に至るまでにエジプト系ユダヤ人会衆での律法と文学文化の変化によって起きたものである。

 ニッサンの月の前夜祭を特別にお祝いするこの習慣を守ることは、進化して変化していく文明へ適応させながら古代の伝統を頑なに守ることを表している。「この習慣はポスタット(古代カイロ)のブネイ・エーレッツ・イスラエル会衆のシナゴーグで守られ、13世紀まで行われていた。その後もエジプトの会衆がこの習慣を継続させていたが、変化が加えられて特殊なセデルと呼ばれるようになった。ヘブライ語とユダヤ・アラビア語の詩が含まれている」とローニー学者は説明した。

 「今日イスラエルと海外にもエジプト系ユダヤ人の会衆とシナゴーグがあり、音楽隊、ハザンや詩人も参加して、音楽と歌の大勢が集まる前夜祭になっている。この習慣は他の会衆にも受け入れられている」とも語った。

 この前夜祭ではエジプトでの救いに感謝する夜で、エジプトからイスラエルの民が救われたように、現在離散しているユダヤ人達も同じように救われて帰還し、イスラエルの地とエルサレムに集結すると信じられている。この前夜祭はいつも平日に行われるため、シナゴーグから遠く離れて住んでいる人達や安息日に祈祷に来ない人達でも参加できるようになっている。特殊なセデル前夜祭は会衆間の繋がりを強め、遠くへ離れた人達が戻って来て知人達と一緒になれる日となっている。


7.エステルの食事

 ニッサンの月17日目、アシュケナジー系ユダヤ人

 「エステルの食事」とは、ペーサッハ祭の二日目の食事に追加する食べ物の呼称で、アシュケナジー系ユダヤ人の一部が習慣としており、ハマンのユダヤ人虐殺の陰謀を暴露したアハシュエロス王とハマンの為にエステルが用意した二度目の食事が起因している。

 この習慣はそんなに古くは無く、ラビ・イェシャイヤ・ハレビ・ホロヴィッツが17世紀に書いた本に初めて記されている。「厳格な人達の間で、ペーサッハ祭の二日目の食事をエステルの食事とし、その日にハマンが吊るされたことを記念しているのを見たことがある」。

 ペーサッハ祭の二日目は「離散の良い二日目」と呼ばれており、祈祷や歌を持って盛大な食事をもって、ニッサンの月の初めをシナゴーグに会衆が集ってお祝いする。この習慣を継続している会衆では、ハマンを陥れてつるし上げにしたエステルの食事を象徴する、特別な祭日の食事を追加する習慣がある。


8.ミムーナ

 ニッサンの月の22日目、モロッコ

 ミムーナを「非公式の祭」と呼ぶのは不可能だ。他の全ての系列的祭日の中で、最もユダヤ暦に入り込むのに成功した祭日である。もう一方でミムーナに関連した系列別ユダヤ人達の古代の伝統を説明する必要がある。ミムーナを知っているという人もこれを読んでみると良い。

 「白いテーブルクロスの上に、麦の穂が飾られ、その上にボウルやお皿、飲み物のボトルなどが綺麗に並んでいる。酸乳のボウル、小麦粉一杯のボウルには緑の豆の殻が刺さっており、新鮮な魚が入った深いお皿、それ以外にお菓子や蜂蜜や様々なフルーツが入ったお皿がある。ナツメヤシ、アーモンド、ナッツ、ワインもビールもある」と1950年代にモロッコのファス市で見たミムーナ・パーティーをヒルシュバーグ教授が描写している。

 1957年に書かれたヒルシュバーグ教授の描写は、イスラエル社会で知られていなかった会衆と家族の喜びを明らかにしている。彼の本が出版されてから63年後、ミムーナはモロッコ系ユダヤ人が起源とされ、北アフリカのユダヤ人会衆に普及し、特にペーサッハ祭とは切り離せないユダヤ暦のお祭りの一部となっている。

 11世紀にチュニジアのキロアンで生きていたラビ・ニッシームの書いた特別なお祭りの存在に証拠が見られる。ミムーナという呼称は、バシャン教授の意見では18世紀に初めて言及されており、また今から約150年以上にもなる19世紀半ばにもその存在が記されている。

 研究者、ラビや作家達の殆どの意見は、この祭りの名前に関してであった。イサク研究者の意見によると、ミムーナの起源は「悪魔王の中の大王」であるマイモンの為に準備した和解の食事であるとしている。ヒルシュバーグ教授はラビ・ヨセフ・ベンナイームの意見を支持しており、ミムーナは「マアミニーム」(信者)が起源としている。何を信じているのか?最初の救いは最後の救いであるという事を信じている、「ニッサンの月にイスラエル部族は救われ、ニッサンの月にまた将来救われる」。ニッサンの月の月末が近づいても救いがまだ来ていない為にミムーナをお祝いし、救いが近づいているという信仰を表している。

 この呼称のもう一つの意見としては、ニッサンの月の23日目がペーサッハ祭の二日目で、この日にラムバムの父親であるラビ・マイモンが亡くなった日となっており、ニッサンの月に禁止されているお祝い事の代わりがミムーナになったとされている。ミムーナの語源は「マモン」(お金)という言葉が起源としている説もある。出エジプトしたイスラエルの民は、戦利品を数えることも出来なかったため、「タルベフー・ベティスエデゥー」(儲けて成功して)という祝福の言葉で相互に祝福する。

 これらの説以外にも、巡礼地であったファスの近くに葬られたマダム「ミムーナ」を追悼する祭りの呼称とも言われている。もう一つの説では、アラビア語の「マイモン」が起源で、祝福や幸運の意味である。アラビア語ではビジネスで成功した人の事を「モール・レマイモン」、幸運の人と呼ぶ。

 ミムーナの名前の起源は、数十万人が参加する大きなお祝い事の説明にはなっていない。歓喜の習慣は各自の意味がある。例としてミシュナーでは、世界は4つの季節に分かれており、ペーサッハは収穫の季節である。そこから麦を使うこととなっている。

 もう一つの説明によると、ペーサッハ祭の喜びは完成しておらず、「私の創造したものが海の中で溺れている時に、あなたがたは歌うのか?」(エジプト人が紅海に沈んた事で神が悲しんでいるのにイスラエルの民が海の詩を歌った箇所のラビ・シュロモ・イツハックの解釈)が原因となっている。その未完成の喜びを完成させるのがミムーナとされている。このお祭りを神殿で行っていたオメルの犠牲祭の習慣の記憶と見ている人達もおり、その為に机に小麦粉のボウルを置くとされている。もしかすると救世主が現れないことから、その失望感をミムーナで和らげているのかも知れない。

 多くのイスラエル人にとってのミムーナはムフレッタであるが、オリジナルでは各会衆が様々な形でお祝いしていた。ミムーナ前夜祭に発酵されたものを食べる習慣があったり、中にはまだ発酵物は食べずにペーサッハ祭の食事を続け、来年への良い印としてお菓子やフルーツを食べたりする。他の習慣では、お祝いしている家に訪問者は長居せず短時間だけ滞在し、味見したら次のホスト家族へ移動する習慣もある。

 過去20年間でミムーナがイスラエル社会のお祭りと変わっていったのを見てきた。この祭りのルーツは多くの会衆に根付き、アシュケナジー系ユダヤ人もハヌカ祭やプリム祭を受け入れるのに数百年かかったがミムーナはとても早く受け入れた。各国に離散していたユダヤ人達がイスラエル国へ来るまでに多くの障害があり、各自の特殊な伝統の多くが失われてきた。暴力的な離散統一の過程は、各会衆の特殊な伝統を粉々に粉砕し、イスラエルで植われ育った若い世代達は祖先の伝統を継続しなかった。その後イスラエル社会は離散の統一から離散の集合へと姿勢が変わり、各会衆の伝統への理解が始まり、特殊なユダヤ人伝統を持続する支援も得られるようになった。

 ミムーナは起源の理由が正確には分からないが、世代から世代、会衆から会衆へと伝承される重要で色鮮やかな伝統へと形成されている重要な存在で、イスラエル社会の特殊性を形成する伝統でもある。ユダヤ民族と数百年間共に歩んできた系列別、又は各会衆の伝統を維持することは、我々の生活を豊かにし、もっと幅広い内容を持たせてくれることとなる。

 「ミムーナは信仰の祭りでもあり、ペーサッハ祭が終わってもメシアが現れるまで、我々はその日が来ることを心から信じている」とユダ学者は語った。学者によると訪問者を受け入れることとメシア到来の期待は相互に関係しているとのこと。「信仰の傍ら、人間は相互に必要であるという深い理解もある。家と心を開くことは、人を信じることであり、人間の尊厳に価値あるものとする行為である。ミムーナ中にモロッコでイスラム教徒がユダヤ人の家を訪問することは、日常茶飯事の光景であった。国に対する忠誠心や愛国心とも矛盾していない、国民に対する尊敬を持って差別をしない、全ての違う宗教も差別をしないことだ」と語った。

 人類愛がこのお祭りの中心的な価値であり、20世紀の偉大なラビであったラビ・ヨセフ・マシャッシュも「祖先の継承」という本でこう記している。「自分の心と自分に耳を傾ける者の心に人を愛することを植え付け、自分が食べる物には数千人の手がかかっていることに注意を払う。これら全てが人に対して全人類を愛することを表すことであり、アラブ人、クリスチャンでも誰でもお互いに必要なのである」。

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