過去からの教訓:イスラエル国会議事堂が襲撃された契約書

 市民の反対がピーク時の1952年にドイツの賠償金支払い契約書に調印がなされ、ナチス政権崩壊から7年しか経過していなかった。国会議事堂での運命的な閣議中にベギンは叫んだ、「汚れた数百万マルクのせいで、我々が獲得した少々の誇りさえ奪うのか?」、その後大勢の市民が国会議事堂に雪崩れ込んだ。暴動にも関わらず、外貨不足と緊縮財政政策がこの問題の決定を下した。

 「俺の家族全員が殺害され、それを黙らせる為に金をユダヤ人国家に渡そうとしているのか?」、「この世界で俺は一人ぼっちだ。ドイツの金が俺を幸せにするとでも思っているのか?」、これらが怒り狂ったデモ隊が発言した内容の一部であり、この経済計画を阻止するために残った精神力を奮い起こし、イスラエルで最も物議を醸しだした内容でもある、「ドイツ賠償金支払い」だ。

 今日イスラエル政府が自営業や雇用人に対して、コロナ禍の支援金に関して話し合っている現代とは違い、1950年代初頭の荒れ狂った事件は、いつも金で全てが解決するのではないという事を教えてくれる。ナチス政権崩壊から7年経過し、ドイツが数十億マルクでユダヤ人国家を賠償することへの反対は、政党、系列、宗派や国民全体をも巻き込んだ。

 「不正改善の契約書」と呼ばれたイスラエルとドイツとの賠償金支払い契約は、当時の外務大臣であったモーシェ・シャレット氏と、ドイツ首相コンラッド・アデナウアー氏との間でルクセンブルグで1952年9月10日に調印された。この契約書の枠内で、ドイツはイスラエルに対して1953年から1965年の間に、当時では高額であった30億マルクを支払い、「ナチスの行いのせいでホロコーストの時代に強制移住され、自分達の財産を失った多くの無力なユダヤ人難民達を、再定住させるためにイスラエルに降りかかった重い不正への補償」としてであった。

 この契約書は、ニューヨーク国連本部で両国の承認書が交わされたことで、半年後の1953年3月27日から有効となった。同時にユダヤ民族を代表して数千万マルクを受け取ったユダヤ人団体との賠償契約書も調印された。

 この特殊な賠償契約書は、被害者達に起きた多大な被害に関しての、ドイツ政府から直接賠償金を受け取るイスラエル市民の権利を代用する者ではなく、それを損害するものでもないと定義され、ホロコースト生存者には「レンタル料」と呼ばれた。これらの賠償金は、殺戮キャンプでの苦痛による医療費提供と、教育の権利や職種取得の権利のような基本的権利の損失に対する賠償として毎月支払われた。

 世界の人達が一つの言葉「ホロコースト」として知っている、第二次世界大戦中にドイツ人によって6百万人のユダヤ人殺害と数百万人への拷問に関する賠償金を、イスラエル国のユダヤ民族がドイツから受け取るかの議論が1952年から始まったと考えられている。しかし政府閣議でドイツの賠償金に関する話は、既に1949年3月に話し合われていたことが判明した。イスラエル建国から1年も経過していない時期に当時の大蔵大臣であったエリエゼル・カプラン氏は、ホロコースト中に略奪されたユダヤ人財産問題を処理する目的で設立された、全ユダヤ人委員会が彼に提出した質問を政府に持ち上げた。

 個人がドイツから受け取る賠償金を、ドイツで購入された商品という形式でイスラエルへ搬送できるかどうかの質問が既に当時議論されていた。「今日までドイツからの輸入に反対する者が多く、帰還者のみに対してドイツから商品としての財産輸入が許可されていた」とカプラン氏は語っている。

 1950年2月に個人賠償金「レンタル料」に関する西ドイツとの直接交渉の開始が政府によって決定した。ドイツと交渉するという決定は、当時イスラエル全体を襲っていた困難な経済状況の結果であり、外貨不足と緊縮経済政策がこの問題の決定を下した。困難な状況を乗り越える為にドイツのお金に頼るという事が決定された。

 しかし政府は、1950年12月と1951年1月に2度この提案を退けた。1951年1月6日に政府は「バイパス」を実施し、直接ドイツと交渉する代わりに4か国の連合軍と話し合った。これは「殺害して相続する」という状況を阻止するのが目的で、イスラエル政府が「難民の残り」を受け入れる為に援助金が必要であるという主張であった。しかし全ての連合軍4か国は、イスラエルの要請に対して拒否(ロシアは無視)した。その為に当時のダビッド・ベングリオン首相には選択肢が無くなってしまい、彼の回想録によると秘密裏にドイツと直接交渉を開始するという決定となった。

 1951年4月には当時の大蔵省局長であり、その後17年間中央銀行頭取となったダビッド・ホロビッツ氏と、西ドイツ首相が秘密裏に会合した。これは歴史的な会合となり、ドイツ首相はユダヤ民族を賠償することに同意し、「ドイツはユダヤ民族に対するナチス戦犯行為の全ての責任を負う」と宣言することとなった。

 1951年9月27日にドイツ首相がこのことに関し、首都ボンのブンデスタッグで発表した。1952年1月6日にはドイツがイスラエル国を賠償する提案が議会にかけられた。特に興味深いのは、若いイスラエル国の殆どの新聞社が賠償金支払いに反対した姿勢を見せたことであった。この反対姿勢は記事や個人の意見として表明され、その中には当時の「イェディオット・アハロノット紙」編集長で独立宣言書にサインもしたヘルツェル・ローゼンブルム学者もいた。

 最初はドイツとの話し合いは秘密であり、今日のようにその内容は新聞社に漏れず、とにかくリアルタイムでは起きなかった。最初の接触が暴露された時に、新聞社は「どうせ何も結果は生まれない」という予想からこのテーマを広げようとせず、そのように政治家達も語っていた。

 その為に新聞社は、将来ドイツから賠償金が支払われる可能性に関する最初の記事を縮小して報道していた。前述の9月27日にブンデスタッグで行われたドイツ首相の宣言も同様に縮小されて報道された。当時の「イェディオット・アハロノット紙」には、小さい記事に2行だけが書かれており、見出しには「ドイツが賠償金支払いに関してイスラエルと交渉を提案」としか書かれていない。

 しかしこのテーマは中身を付け始めたばかりで、賠償金支払いに反対していた新聞社は、このテーマは国中が大嵐になることを理解し、議論やデモをエスコートする姿勢であった。1952年1月4日には「イェディオット・アハロノット紙」の一面見出しで賠償金の支払い額が大きく掲載されたが、ドイツとイスラエルとの交渉で得た最終的な金額からはとてもかけ離れた金額ではあった。「3億が賠償金交渉のベース」と太文字で見出しに書かれている。その下には「与党の特別閣議が月曜日に決定、政党内でも厳しい闘い」と書かれている。

 その後段々と状況が悪化し、外にはデモ隊が段々と集まってきた。1952年1月6日には国会でマラソン会議が開始し、「イェディオット・アハロノット紙」の一面見出しには、「国会での運命的閣議の24時間前、ドイツとの交渉に反対が強まる」と掲載されている。

 1952年1月7日には国会で前代未聞の大荒れ閣議となり、メナヘム・ベギン氏の最も有名な演説である賠償金演説に於いて、彼の眼に涙が浮かんでいたと証言者は語っている。「異邦人は我々を憎しんでいるだけではなく、殺害するだけではなく、火葬するだけではなく、嫉妬するだけではなく、主に我々を軽蔑したのだ。我々の世代を奴隷の最後であり救いの最初であると呼び、誇りを得て奴隷から自由の身になった世代である。汚れた商品や汚れた数百万マルクのせいで、あなたがたは我々が得たこの少しの誇りを奪うのか?」と語った。

 通常とは違う嘆願する声で、興奮して動揺しながらベギン氏は「自分の敵」と呼んでいたダビッド・ベングリオン首相にこう言った、「ユダヤ人同志として、孤児の民族の息子として、喪に服している民族の息子として貴殿に最後にお願いしたい。この行為を止めて頂きたい。これはイスラエルで忌まわしきことの最も忌まわしいことである。これに関して票決を取る可能性も無いと思っている。票決は既に決まっている、トラベリンカ、アウシュビッツやフォナリーでだ。そこでユダヤ人達は死の拷問を決議した。ドイツ人とは接触も交渉してもいけない」。

 「イェディオット・アハロノット紙」編集長ヘルツェル学者は、新聞に異例な見出しとして、ドイツの賠償金の事項決定に関する3日間の閣議が、どれほど運命的なものであるかと掲載した。見出しには、「国と民族の歴史に於ける運命的な閣議の瀬戸際。国会議員、強く勇敢であれ!」と叫んでいる。

 当日ベギン氏は、イスラエルで初めての徴税反対や市民闘争を呼び掛けており、「反対者が拷問部屋に連行されようとも、また死のキャンプへ連行されようとも、命を失ってでも」と語っている。この演説により群衆が数百人の警察官が守備された国会議事堂に襲いかかった。今週ワシントンでドナルド・トランプ大統領が、後援者にキャピタルに来るよう呼びかけた後に起きた事件ととても相似している。

 警察は多くの有刺鉄線や検問所を設置し、こん棒や催涙ガスでデモ隊を阻止しようと試みたが、デモ隊は国会議事堂入口に到達し、国会議事堂に対して投石を開始した。100人の警察官が負傷した。国会議員のハナン・ロビン氏も投石で頭を負傷し、割れた窓ガラスで数十人の議員が負傷した。これは「戦場」であると翌日の新聞の見出しは叫んでいた。ベギン氏は扇動責任者として数カ月間国会から追放された。当時は停止可能なツイッターもフェイスブックも無かったからだ。

 イェディオット・アハロノット紙は、毎日賠償金を一面見出しにした。1月8日「デモで200人負傷、400人逮捕。逮捕者はシャアル・ハアマキームとベテシャン刑務所へ移送。警察は今日左翼デモに対して準備」。1月9日「賠償金に多数決が約束」。1月10日「賠償金に関する閣議は来週へ」。1月11日「ボン内閣は今月賠償金に関して閣議」。1月15日「賠償金に関する外務委員会は嵐の前」。1月16日「大臣達はドイツとの交渉に参加せず」。1月23日の見出しには、「ドイツとの交渉は3月開始、オランダ、ベルギー又はスイスとの話し合い。ドイツ首相はロンドンかワシントンでの公式交渉に反対」と書かれている。

 1952年3月には、オランダのハーグ付近にあるベスナーという名の小さな町で賠償金契約書の交渉が開始した。調印された契約書は詳細で明確であった。イスラエル政府には西ドイツからの商品やサービスを購入する、30億マルクが支払われること。訴訟委員会には4億5千万マルクがドイツに対する訴訟代議士の為に送金される。1938年1月1日からドイツ帝国によって迫害され、ナチスの迫害によって自由をはく奪された者も含んだ全ての者には賠償金権利がある。

 特に興味深い条項としてこの契約書には、19世紀末にイスラエルの地に移住し、第二次世界大戦中にイギリスによって追放されたテンプラー人(ドイツ人)の資産との引き換えに、イスラエル政府はドイツに5千4百万マルクを支払うという内容である。

 支払い方法に関する契約内容はこうであった。1953年3月27日に有効となる日から1954年3月までの最初の1年でドイツは2億マルクを支払う。その次の9年間にドイツは毎年3億1千万マルクを支払う。10年目に2億6千万の支払いで完了する。

 公式な契約書は、約半年間のマラソン会議の後に1952年9月10日にルクセンブルグで調印された。ドイツ首相はドイツ国の名の元にサインし、当時の外務大臣であったモーシェ・シャレット氏はイスラエル国の代表としてサインした。この契約書はボン政府で1953年3月18日に承認された。

 9月2日にイェディオット・アハロノット紙の見出しには、「ドイツ大蔵大臣が賠償金債務に苦情」と掲載した。この見出しは多くの人を怒らせた。4か所のキャンプを転々としたホロコースト存命者のヤコブ・ツーカー氏は、当日国会議事堂の正面に立ち、財布に入っていた少しの紙幣を取りだして地面に投げつけた。「ドイツ首相、これはお前のためだ。俺の家族を全員殺したが、支払いが困難だと文句を言う。俺が金を貸してやる。返金する必要はない、俺の両親を戻すことも出来ないからだ」と叫んだ。

 9月9日にモーシェ・シャレット氏が契約書に調印する為にルクセンブルグに赴いた日の見出しは、「シャレットがドイツ首相と会談へ」。1952年9月10日の大きな見出しには、「シャレットとドイツ首相が契約書に調印」。その下には、「イスラエル外務大臣:民族史上最も特殊な契約である。この契約が実行されるかが試練だ」と掲載されている。

 9月12日の見出しは少し縮小され、「賠償金支払いは、イスラエルの経済状況を助ける」。9月14日には、その後40年間イスラエル国で議論される内容が見出しに掲載された、「東ドイツからの賠償金支払いの可能性は無し」。

 確かにドイツの壁が消滅した後に、東ドイツが長年イスラエル国への賠償金支払いを拒否していたが、1991年に東ドイツの責任としての賠償金支払い訴訟が新しく浮かび上がった。ドイツ統合後の契約書を再開した結果、ドイツ政府は52万2千人のホロコースト生存者に対し、5千マルクの一回限りの支払いに同意し、特に状態が最悪と定義された5万人の生存者達に対しては、毎月500マルクの支払いが行われることとなった。ここ最近にも賠償金支払いに関する記事、解析、解説や意見として持ち上げられることがある。このテーマは多分一生見出しから外れることはなさそうであるが、そうであればよいと願っている。

 例を挙げれば、1992年5月8日の金曜日には、シュロモ・ナクディモン氏が書いた調査結果が大きな見出しで出ている。「このようにイスラエルは東ドイツからの賠償金を失った」。1998年4月23日にドブ・ガグホブスキー氏は、1952年にベングリオンとベギンとの間で賠償金に関する大きな議論があったことを話している。

 このテーマは見出しから外れることが無く、いつも生存者に対する賠償金額が増大する希望を起こしてくれていた。2008年4月30日のホロコースト記憶日の見出しには、「賠償金差別」と掲載され、「政府調査委員会:55年間に及ぶ生存者への賠償金配布の不平等」と説明している。同年の6月23日には詳細が書いており、「生存者に10億シケルの債務。ドーナー委員会:各生存者が政府のせいで1百万シケル以上を損失」。

 今日イスラエルには19万2千人のホロコースト生存者がいる。ナチス支配時代に経験した残虐行為に関し、殆どの人達はそんなに多額な賠償金を受け取ってはいない。毎日数十人の生存者が亡くなっている。68年前にドイツ首相がそのようになることを願ったように、皮肉にもドイツ政府の責任は段々と減少している。

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