複数のトーラーとは口伝律法のことなのか(レビ記26:46)

 「書かれたトーラー(注:聖書)には、我々のラビ・モーセは神から二つのトーラーを受け取り、一つは書かれたトーラーともう一つは口伝律法であり、このようにも書いている:”定めと、おきてと、律法である”。”律法”は単数形ではなく、”これらは主が、シナイ山で…モーセによって立てられた”と複数形になっている。複数形なのは何故か?一つは書かれたトーラー、もう一つは口伝律法であるからだ」(ラビ・シュロモ・シャブカス)。

 「口伝律法の無い書かれたトーラーなど存在しない。明確に記されている;”これらは主がモーセに与えられた律法であり”、単数ではない。書かれたトーラーと口伝律法の複数形だ」(ラビ・ヨッシー・ミズラヒ)。

 ラビ達の主張による複数形のトーラーとは、書かれたトーラーと口伝律法という解釈になっている。この主張は、記されたトーラーの中に口伝律法の事が示されている証拠であるという、最も普及しているラビ達の解釈である。しかしこの主張は、文脈の関連性を全く無視している。レビ記26章46節にはこう書いている:

 「これらは主が、シナイ山で、自分とイスラエルの人々の間に、モーセによって立てられた定めと、おきてと、律法である」。

 まずもし複数形のトーラーであるならば、何故二つだけになるのか?5個、50個、又は500個のトーラーがあってもおかしくないか?

 二つ目に複数形のトーラーという言葉は、モーセ以前の部分にも多く記されており、創世記26章5節には:

 「アブラハムがわたしの言葉にしたがってわたしのさとしと、いましめと、さだめと、おきてとを守ったからである」。

 アブラハムに書かれたトーラーがあったのか?勿論違う、トーラーはその数百年後に与えられたからだ。文脈から複数形のトーラーという言葉の意味は「指示」であることは明確だ。トーラーは指示、教え、導き、示唆だ。全体の言葉と文章の関連性から、アブラハムは神の指示に従ったので祝福されたのだ。

 三つ目に、そうするとモーセが語ったトーラーとは幾つあり、どのような内容であったのかを正確に知る可能性は本当にあるのか?幸運にもどのような指示であるのか、モーセがレビ記に詳細に記している:

燔祭のおきて(6:9)

素祭のおきて(6:14)

罪祭のおきて(6:25)

けん祭のおきて(7:1)

犠牲のおきて(7:11)

獣と鳥のおきて(11:46)

妊婦のおきて(12:7)

らい病人のおきて(14:2)

流出のおきて(15:32)

 これらがモーセが語った「トーラー」であり、どれ一つも「口伝律法」とは名付けられていない。またこれらのトーラーの一つも口頭で伝えられたものではなく、複数形のトーラーという聖書の意味は二つのトーラー、書物と口伝という主張に何も証拠となるものがない。

 四つ目に、ラビ・アキバはこう解釈した:

 「これらが定めと、おきてと、律法である…イスラエルの民には二つだけのトーラーがあったのか?イスラエルの民には数多くのトーラーが与えられたのだ」。

 この解釈の注釈として、タルムード研究者であるシャマ・イェフダ・フリードマン教授は次のように述べている。「この複数形は、トーラーと文法の意味からすると、口伝律法のことではなく、書かれたトーラー自身の内面性を意味している」。

 五つ目に、ラビ達が主張するように複数形のトーラーが、本当に書かれたトーラーと口伝律法のみだとするならば、ラビ達の他の主張とは矛盾を生むこととなる。その主張とは、”イスラエルの民が書かれたトーラーを違反しても世界は壊滅しなかった、何故ならそれは神は我々に対し、書かれたトーラーではなく口伝律法を守ることをお望みとしている”という解釈だ。

 ”1から10までトーラーの全てを違反したのだから、世界全体が壊滅されるべきだった…彼等(イスラエルの民)は、トーラーの1から10まで違反したという賢者達の言葉だ…全てのトーラーを違反したにも関わらず、この世界は混沌とはならなかったことを見て、「もし契約をしていなければ」という聖句の意味はトーラーを示しているのではなさそうだ…現在彼等はもう違反していない、何故なら書かれたトーラーとは男性形であり…女性形である口伝律法にも違反していたとするならば、世界の全てを破壊していただろう”。

 この解釈は、公衆の面前でイスラエルの民がトーラーに違反したと主張した、預言者イザヤの言葉に対して矛盾している。

 「それは彼らが律法にそむき、定めを犯し、とこしえの契約を破ったからだ」(イザヤ書24:5)。

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