聖書時代にはイスラエルの地でコーシェルではない魚を食べていた

 「すべて、ひれと、うろこのあるものは、食べることができる」(申命記:14:9)。申命記に記されているコーシェルの律法は、ひれとうろこのある魚しか食べてはいけないと定めている。しかし新しい研究では、聖書時代にはイスラエルの地で、コーシェルの魚だけ食することを厳守していなかったことが明らかになった。

 アリエル大学ユダヤ教研究者、考古学のヨナタン学者とハイファ大学古代動物学者で外科医であるオムリ教授が行った研究では、紀元前1,550年から西暦640年までイスラエルの地で暮らしていたユダヤ人達は、コーシェルではない魚を食べるのは禁止されていることを厳守していなかったことが証明されている。

 ヨナタン学者は、「イスラエルとシナイ半島の30か所以上の遺跡から、魚のゴミを56か所調べた。合計21,646個の魚の骨が調査された。」鉄器時代(紀元前1,200年から紀元前586年)は旧約聖書時代とも呼ばれており、ペルシャ時代(紀元前586年から紀元前332年)まで、ユダヤ人達はナマズやサメなどのコーシェルではない魚を食していたことが結果となった。これらの魚を食することが禁止されていたかを当時のユダヤ人達が知っていたと予測することは出来ず、確実にこれを実行していなかったのは明確である。驚きの結果であった」と語っている。

 また、「ヘレニズム時代では殆ど魚の骨が発見されておらず、当時どうなっていたのかは分からない。しかしローマ時代(紀元前63年から西暦324年)には、コーシェルではない魚は殆ど発見されていない。これによって分かるのは、予想ではあるが、ローマ時代のユダヤ人達はコーシェルではない魚を食さないように気を付け、聖書の律法をちゃんと知って守っていたことが分かる」と語っている。

 この研究の発想は2017年から始まり、ヨナタン学者がイスラエルの魚の考古学発見に関するオムリ教授の講演を聞いてからである。「オムリ教授は、エルサレムで発見された魚の統計的調査に関して話していた。その中で彼は、鉄器時代にはより多いナマズとサメが発見されたと語っていた。これがレッドライトが点滅し、鉄器時代のエルサレムで、ユダヤ人達がコーシェルではない魚を食べていたというのは納得できるものではなかった。講演後に二人で話し合い、広範囲な調査を実施することを決定した。これらの魚をいつ食したのかを検査する為に、彼のデータベースを調べた」。

 現在研究者達は、考古学発掘で発見された他の魚も分析しようとしており、いつからユダヤ人達はコーシェルの魚だけを食べるようになったのかを理解しようとしている。

 この研究は広範囲なプロジェクトの一部であり、「ユダヤ教起源の考古学プロジェクト」と呼ばれたヨナタン学者が率いるものであり、プロジェクトの目的は、いつからユダヤ人達は聖書の律法を守るようになったのかの問いかけに応える、文学や考古学で証拠を探すことである。1年後にヨナタン学者は、この研究が含まれる研究テーマの本を出版する予定である。

 ヨナタン学者は、「多くの研究者達は、聖書はペルシャ時代(紀元前539年から紀元前332年)に編纂されたと考えているが、市民に普及していたとは言えない。聖書が有名になるまで、またそこに記された律法を実行するまでには時間がかかったと思われる。個人的にいつから聖書は本棚を離れ、全員が知って書いていることを実行するようになったのかを調査することに興味がある」と語っている。

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