紅海の秘密:隠された奇跡

 海の歌は聖書の奇跡の話として多く語られるもので、ハガダーの本にも掲載されている。その印象を強め、芸術作品のように奇跡や不思議な事を追加している。政治的又は宗教的にも困難な時期にこの複雑な伝統が創造され、神殿破壊後や第二次反乱の失敗後に、未来への道が無く完全に失望し、子供達を生むこともないと考えていた時であろうと言える。

 聖書解釈ではこれらに対抗し、エジプトで奴隷であった最も暗黒の時代であったとしても、民族は増えて豊かになり、全ては神の御助けであった。絵画的で心をつかむこの伝承は、エジプトでのイスラエル民族の物語のような単純な話ではなく、この聖書解釈は記されている物以上に奮起し充実させることが出来る力を持っている。

 出エジプト記の頭には、イスラエルの民がファラオによって奴隷となっている部分から始まり、出エジプト、紅海横断と聖書伝授で終了しており、代々続く多くの朗読者に対し、たった一度の朗読では発見できないような深い新しい中身を発見することを呼びかけている。

 これらの聖書解釈は、その話の中での神の役割を強化し、不思議な事や奇跡を追加して、聖書の話自身も影響を受けている。杖が蛇になり、水が血と変わり、10の災い、紅海の横断など諸々だ。

 聖書朗読者にはこれらの話だけでも物足りず、奇跡と不思議な事に関した新しい伝説を付け足し、宗教分野から取られた世界の想像主に関係した伝説などがある。一例を挙げれば幼児モーセの人生は、金貨と炭火との選択に託されていた話は有名である。もし金貨に手を出していたならば、直ちにファラオの宮殿で殺害されていただろう。古代の伝説によると、神の代表者であるガブリエル天使がその瞬間に現れ、赤ちゃんの手を金貨から炭火に押しやり、エジプトからイスラエルの民を救う者の未来を救ったという。

 10の災いの中にも伝説がある。聖書では血の災いが降りた時には、ナイル川だけではなくエジプトの全ての水源がそうなったと書いており、解釈書ではエジプト人の家の中にあった壺の中の水も地に変わり、ユダヤ人とエジプト人が同じ器から水を飲んだときでも、エジプト人は血を飲み、ユダヤ人は澄んだ水を飲んだとなっている。奇跡の中の奇跡だ。こんな感じで多くの話が生まれ、代々の想像好きな人の表現として、聖書の話や不思議な事や奇跡の基盤を強調するためであった。

 紅海横断のドラマチックな話が最もそれを証明する話だ。海が二つに分かれ、その中をイスラエルの民が安全に渡り、戦車に乗った敵のエジプト人が溺死する。聖書ではこの事件を賛美して褒め称え、詩篇では「エジプトからイスラエルの民が出た時」という言葉で始まり、「海を見て水が退いた」とも伝えている。

 また娼婦であったエリコのラハブが、ヨシュアが送った偵察兵に対し、海が二つに分かれた大きな奇跡を世界中が聞いたことを伝えており、創世記の話とは全く正反対の事件でもあった。創世記では全ての水が一か所に集められたが、出エジプト記ではまた水が分けられ、海底の土まで見えたのだ。

 紅海横断には多くの伝説が造られ、海の歌に関係したものが殆どであり、エジプト軍が海で溺死した後のモーセとイスラエルの民の勝利の歌でもある。この歌の全ての言葉、発音や一説が様々な解釈を得て、「彼(これ)こそわたしの神、わたしは彼(これ)をたたえる」(出エジプト記15:2)の言葉の解釈もまたそうだ。多くの解釈によると、「これこそ」の言葉は、何か定義されたものを指で示すことを意味する。

 解釈書の氷山の一角から長い素晴らしい話へとつながるのだが、ファラオの命令にも関わらず、エジプトに於けるイスラエルの民の誕生へとつながっていく。この長い話ではやっと最後に海の歌に辿り着けるのだが、悪いファラオがイスラエルの民の男性に対して野原で野宿することを命令し、自宅に戻ることを禁止することによってイスラエルの民が増えて大きくなることを防ごうとしたという話も出てくる。

 この命令に対しての解決案を出したのは女性であり、ナイル川に水を汲みに行くことを利用した。神の御力によって壺が水と魚(繁栄のシンボル)で一杯になり、これらの食料を持って夫に会いに行きお互いに交わったという。生まれた赤子達は神の手に委ねられ、大きくなるまで彼(又は天使)が世話をしてくれたという。

 エジプト人がこれらの赤子達を殺そうとした時に、地面が割れて赤子達を飲み込んで隠した。最終的にこれらの子供達は親と一緒に出エジプトし、紅海で神が現れた時に子供達が最初に「彼(これ)こそ我が神」、「彼(これ)こそ私を育てたり」と叫んだという。

 海の歌によるとエジプト軍は、「強大な海に鉛のように沈んだ」となるが、そこでも神に対してこう歌っている、「あなたが右の手を伸べられると、地は彼らをのんだ」(出エジプト記15:12)。ここで疑問が湧くのだが、エジプト人は地に飲み込まれたのか、それとも海に飲み込まれたのか。解釈はこの二つの聖句を、海と地の議論に関する神話的な特性の話を提示して解決しようとしている。海も地もエジプト軍の死体を受け入れようとせず、人間は土と塵から創造されてそこへ戻る為に、神が最終的に地を説得して受け入れさせた。

 しかし死体を受け入れることで罰を受けることを畏れた地が、何故ならアベルの死体を地中に埋めることを同意したことで呪われたことをよく覚えており、神は地に対して罰を下さないと約束した。この約束を解釈書では「あなたの右の手を伸べられると」という言葉に見つけ、真実を語る誓約の時に右手を挙げるのはここから来ている。ファンタジーの話に見えるこの解釈も、敵にどう対応するかの興味深い知識を中に見出すことが出来る。エジプト人のような残酷な敵でも神が創造されたものであり、彼らも埋葬されるに値するからだ。

 このアイデアは解釈書で有名な話として知られており、紅海を渡った時に天使達が神に賛美を歌うことをお願いした時に神は彼らを黙らせ、「私の創造物を海に沈めたのに、あなたがたは歌を歌うのか?」と神が問いかけている、神の創造物であるエジプト人を示しているのだ。

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