第一次世界大戦でイギリス軍が使用した手りゅう弾が、エルサレムのサッカー公園での改築プロジェクトに於ける考古学発掘によって発見された。エルサレムは実際には1917年12月9日に無血開城され、その二日後にアーレンビー将軍が旧市街に入場し、オスマントルコ軍は退避していた。
エルサレム市役所の重要なプロジェクトの一つで、サッカー公園を改築する目的でモリヤ会社が十石市手織り、数千万シケルを投資してエルサレムの緑化を進めている。この一年間で遊具施設、新しいスポーツ敷地、約120本の照明、水飲み場、ベンチ、ピクニック用の机、ゴミ箱、約800本の新しい植樹を含んだガーデニングと灌漑の改善、30ヘクタールの敷地を持つ巨大なドッグコート建設などが建設されている。
この手りゅう弾は、古代の貯水槽の中で考古学局考古学発掘責任者のオスカー氏によって発見された。手りゅう弾が発見された直後に工事を中止し、エルサレム警察署の爆弾処理班が駆け付け、100年以上も経過した手りゅう弾を爆発処理した。爆発処理直後に工事が再開している。
考古学局近代史武器専門家のアサフ氏は、「ミルス23タイプの手りゅう弾で、イギリス軍が第一次世界大戦で使用していた。多分この手りゅう弾は以前発見され、埋めるためか危険を回避する為に、この貯水槽の中に投げ込まれたと思われる」と語っている。
この場所は考古学者が良く熟知している場所で、考古学局は国会議事堂付近の地域を把握しており、過去にも発掘で農業施設、古代墓地やその他の遺跡が発見されており、殆どが第二神殿時代のものであった。