独立戦争時に戦死した植物学者トビヤ・クシュニルの花を辿って

 「トビヤはまだ黒く希少なアイリスを栽培している」と、ナオミ・ショメル(注:黄金のエルサレム作曲家)の歌に記され、毎年秋になると「自分の庭に吹く狂った風が、殆どの白ユリをなぎ倒す」と描写している。73年前のトビヤ・クシュニルの事を歌っており、パルマッハ隊に入隊して独立戦争で戦死した。享年24歳であったが、イスラエルの地の自然調査の発見に多大な貢献をし、一部は世界規模の重要な発見でもあった。

 「当時イスラエルに存在しているのが知られていなかった約30種類の花を発見し、それ以前には植物学でも知られていなかった新しい花を3種類発見した」と、植物専門家のウーリー・クシュニル教授は語り、包囲されて孤立していたグッシュエッツィヨンを救出す津為に編成された、装甲車部隊に彼の上の兄であったトビヤが参加した時には5歳で、ツーリフ村付近のアラブ人達によって装甲車部隊が発見され、1948年1月16日の戦闘で彼の兄と戦友達は全員共に戦死した。

 トビヤ・クシュニルは1923年に、エステルとシモン・クシュニルの長男としてエルサレムで生まれ、彼の両親は第二次移民でイスラエルに帰還した開拓者で、最初はエズレル平原のエゼキエル村に住んでいた。子供の時から自然に興味を持ち、花で自宅の科学研究を行い、情報交換や収集の為に様々な植物専門家達と連絡を取っていた。ヤグール川の旅行中に彼が発見した花はヘブライ大学に送られ、植物学では新種の花ということが判明し、アリウム・バサルチカムという名が与えられた。

 トビヤが16歳の時にカルメル山で、イスラエルで最も希少な野生種の一つである白ユリを発見した時には植物学界でも反響を呼んだ。19世紀初頭には、過去には多く生息していたと思われるこの植物は、イスラエルでは完全に絶滅していたと考えられており、それを発見しようとした植物学者アハロン・アハロンソンの努力も水の泡となった。その後上部ガリラヤにあるプキイン山脈で白ユリが発見されたが、トビヤによるカルメル山での白ユリの発見は、重要な突破口となった。

 ユダヤ教の伝承では、白ユリは「いばらの中にユリの花がある」と雅歌(2:2)に歌われており、殆どの花の開花は終わって全てが黄色くなった春の終わり頃に開花する。研究者達は、白ユリはダビデの星のシンボル化へとユダヤ人がデザインと属性させることにインスピレーションを与えたとしている。神殿のメノラーには各灯の下にユリの花があり、上から見るとダビデの星のような花びらの形状を作っている。

 キリスト教の伝承によると、天使ガブリエルがマリアに受胎と神の子を出産することを告げた時に、白ユリを手渡したとされている。キリスト教のシンボルとしてのこの花の重要性は、ヨーロッパから来た巡礼者達によってイスラエルの地の白ユリの球根が多数抜かれて持ち去られ、十字軍の第一次遠征でイスラエルの聖地を占領した時から始まり、この花を絶滅危機の瀬戸際まで追い込んでしまった。

 その後トビヤは、イスラエルでは新種のクロッカスを3種類発見した。クロッカス・オクロレウカスを初めて発見したのはメナラ崖付近で、クロッカス・パラシはユダ山地のハルフール付近で、イスラエル・クロッカスは初めてラマッラ付近で発見した。その後北部では、ユダ山地のみに生息していた野生ラン種のオルフィス・フシフローラも発見した。

 ヘロディオン要塞付近では、以前に植物学界で知られていなかったコルチカムの新しい種類を発見し、彼の名前が付けられてトビヤ・コルチカムと呼ばれている。

 コルチカムは秋に開花し、茎無しで乾いた大地から直接花が突き出る。しかし葉も無く花だけが地中から飛び出す他のコルチカムの種類とは違い、トビヤ・コル近くは開花途中で、花と葉を同時に見ることが出来る。トビヤ・コルチカムの葉は、毛が多い葉の他のコルチカムの種類の葉とは相違している。

 しかしナオミ・ショメルの歌が暴露しているように、トビヤ・クシュニルはアイリスを愛した。「アイリスの最初のヘブライ研究員」と弟のウーリーは定義した。「彼は収集しただけではなく栽培もし、色の遺伝や、様々な種類の交配による品種間の関連性や、種の製造もしていた」と説明した。

 ヘブライ大学で勉学中に、トビヤは展望山に球根植物の植物園を設立し、この場所は様々な種類のアイリスに特別に捧げられた。弟の話によると、これらのアイリスの一部は46個の花壇に20年も育成し、第三次中東戦争後に発見されてギブアット・ラム・キャンパスの植物園に移転された。

 「彼のコレクションには、たった1品種のアイリスが不足していた、サマリヤ・アイリスだ。研究者ディンスモールの本でゲルジム山付近に咲いていると知り、それを見つける為に二人の友人を連れて行った」と弟は語った。三人はバスでシケムに到着し、直ちに彼等の周りには多くのアラブ人の群衆が集まってきた。イギリス人警察官達は群衆を後退させ、三人を捜査室に連行した。

 「捜査ではイギリス人将校に対し、彼等は学生でアイリスを探していると伝えた。もちろん将校はそれを信じず、彼等を留置場に拘束した。その後上級将校が彼等を尋問する為に到着し、彼の前で自分達の植物に関する深い知識をお披露目した。上級将校は彼等の事を信じ、そのアイリスを見せてもらったことがあるということで、サマリヤ・アイリスが咲いている場所まで案内してくれた」。

 サマリア・アイリスは、アイリス・ロルテティの亜種で、毎年過越し祭の時にだけ開花し、イスラエルのアイリスの中でも素晴らしい花と考えられている。この種類のアイリスは、1882年にスイス人植物学者のウイリアム・バーベイの本で初めて紹介された。当時カラー写真の印刷技術が進み、バーベイが発表したこの花のカラー写真はヨーロッパ人を驚かせ、ヨーロッパ大陸の庭師達は、どんな値段でもこの花の苗を手に入れることを希望した。

 研究員でガイドのミハ氏は自身の本で、アッコーの港のリストには、アイリス・ロルテティの数千個の苗袋が輸出された項目を発見し、イスラエル北部の村人達は、自分達の仕事を中断してこの花を探しに出かけ、ヨーロッパに供給する為にアイリスを引き抜いていった。

 しかしこのアイリスは、ヨーロッパで1~2年開花したら枯れてしまい、アイリス・ロルテティは世界から絶滅したと考えられていた。幸運にもコレクター達はアイリス・ロルテティの全ての場所を発見することに成功せず、一部だけが上部ガリラヤの東側、ハフーレ・バレーやサマリヤ地方に生存することが出来た。

 1946年にトビヤは、彼と学んでいた9人の生徒達と共にネゲブ山高地の見学に出発した。彼等は10日間歩き続け、今日でも僻地と考えられているルッツの穴、ラモン山やアルード川を生き、この地域のユダヤ人研究員使節団として初めての見学であった。この見学でもトビヤは全く新種の植物を発見し、それまで誰にも知られていなかった紫色の花を持つアイリスの種類であった。

 その後これは特に希少なアイリスであることが判明し、世界中でもネゲブ山、エイラット山とエドム山の高地にしか咲かない花で、この花もトビヤの名前が付けられて、トビヤ・アイリスと呼ばれている。

 アルード川の見学中に、使節団のメンバーが4WDのタイヤ跡を発見した。「ネゲブで油田の可能性があるかを調査しに来た、イラクの石油会社の調査団が彼等の前にこの地域に来たことを理解した。この使節団をエスコートしていた兵隊達が、49大隊の名前とイギリス空軍の羽を彫り込んだ岩も発見された。シオニストのプライドをかけてトビヤもその岩に上り、そのイギリス空軍の上にダビデの星とパルマッハという名前を彫り込んだ。その岩の下部には自分の名前も掘り込んだ」と弟は語った。

 今から3週間前にウーリー教授は自分の2人の息子達、アヒ(トビヤの名前)とアビーブを連れてネゲブ山高地の特別な旅行に出かけ、トビヤと友達が行った開拓者学生の見学コースを辿った。「英語の部分は消えてしまったが、ヘブライ語の部分はまだ残っており、旅行者達はこれをトビヤの岩と呼んでいる。これは73年前に失われた命の痕跡だ。これを掘った約1年半後に彼は戦死した」と、ウーリー教授は悲しく説明した。

 「ネゲブの見学から戻った時に、この国のポテンシャルに関して興奮して語ってくれた。彼の幼馴染であったヤコブ氏は、その後生物学の教授となり、トビヤと一緒に見学旅行にも同伴した。彼の話によると、ベドウィンの羊飼いと出会い、ユダヤ人達を見て直ぐに逃げた。彼等は喉が渇ききっており、トビヤは三角帽子を被ったままヤギの乳絞りを始めた」と、ウーリー教授は笑いながら教えてくれた。

 「トビヤは動物学にも重大な貢献をしている。1948年の戦死する直前に、生物学で修士号の3年目の学生だった時に、ケラの種類の昆虫に行った画期的な遺伝子研究がNature誌に掲載された。この研究は、進化論の分野ではイスラエルで初めての科学的研究であり、その数十年後にこの分野に於ける世界的発見への道を開いた」。

 「彼は時代の先を行く人だと言われた」とウーリー教授は語った。トビヤの戦死後、ケラの研究に関する彼の論文は、Journal of Genetics誌にも掲載された。この雑誌の有名な編集長のハルディン教授は、当時世界で指折りの遺伝子学者の一人であり、トビヤの論文の脇に注釈を追加した。「論文作者は、エルサレム付近の最近の戦闘で戦死し、彼の死によって生物学に多大な損失が起きたと読者は確実に理解するだろう」。

 トビヤはヘルモン山植物の研究にも重大な貢献をし、現地で様々な種類の約400個の植物を収集した。その中にはヘルモンでは知られていなかったタテハチョウ種の美しいオレンジ蝶を収集し、それ以来その場所で発見されることはなかったが、彼の名前が付いてトビヤ・シータテハと呼ばれている。「彼が残していったものだ。彼の名前が付いたアイリス、コルチカム、シータテハ。彼の記憶が残る証拠だ」とウーリー教授は語った。

 「自宅で彼は自分の活動をいろいろと話す人で、自分の人生の大半を占めていた。庭には彼が植えたアイリスのコーナーがあり、チューリップ・アゲネンシスとシュテルンベルギアもある。アイリスの栽培は困難で、彼の死後にアイリスは枯れてしまったが、チューリップは彼の死後12年間も咲き続け、毎年追悼のロウソクのように地中から出て開花した。チューリップも最後には地中に眠ってしまい、もう出てこなくなってしまった」。

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