母親が探すのを止めず、アウシュビッツで引き裂かれた娘を75年後に発見

 ディナとジン姉妹は、ナチスによって母親から強制的に引き離された自分達の姉であるエバを数十年間探し続けてきた。全ての努力が水の泡となった後に、二人はDNA検査の実施を決心した。数週間後には目を何度もこするほど信じられない、全く知らなかった姪っ子とDNA結果が同じであった。二人は直ぐに彼女は失われた姉であるとの結論に達し、MyHeritageチームの詳細な調査により、長年問い続けてきた家族にやっと回答が得られ、イスラエルでも数年間過ごしていたエバの人生の歩みが明らかとなった。

 ディナ・モリス(72歳)とジン・ギルハート(74歳)は、失われた姉の記憶を持ちながら成長した。彼女たちはアメリカのオハイオ州に住み、ある意味では理想的な幼少時代を過ごしたが、彼女たちの母親であるドーラはいつも悲しみにふけていたことを心で知っていた。何日も母親がベッドから起き上がらず、毎日泣いているだけの日々もあった。母親が幸せな時には、二人はこの家族を追いかけることを止めない過去を思い出させないよう話す内容にも気を使っていた。

 「古い写真があった」とディナは思い出す、「時々母親はその写真と一緒に寝て、時には見ることに耐えられず写真を伏せていることもあった」。1940年代に撮られた写真には、ドーラが長女のエバを抱いている。ホロコーストの時にはドーラとエバはナチスに逮捕され、アウシュビッツに到着した時に二人は別々にされた。ドーラは生き残ったが、その後娘と出会うことは無かった。その後の人生をドーラは娘の探索に費やす。

 終戦後にドーラは、父親が不明のジンをお腹に宿していた。彼女はオーストリアのシュタイアー市にある難民キャンプに移送され、そこでルイス・ラパポートと出会う。混沌とした中で二人は恋に落ち、結婚し、ルイスはジンの父親となった。その後二人はもう一人の子供、ディナを生むことになる。

 「1951年に難民キャンプに滞在した後、母親、父親、姉と3歳であった私達はアメリカに移住した」とディナが語った。彼女の父親は大戦前はポーランド警察の将校であったが、アメリカでは定年まで仕事した肉の缶詰工場の従業員としての仕事であった。「カラーテレビを購入するために、父親が$1ずつ貯金しているのを覚えていて、チップとコーラで安息日の夜にテレビを皆で見ていた。それが私達のご馳走だった」と語った。

 しかしディナの心地よい幼少時代の記憶の隣には、無視することも話すことも出来ないエバの記憶があった。ある時期にはディナと妹のジンが、母親にとって透明で見えない存在であると感じたこともあったとディナは語る。「エバを探した母親の努力は多大なもので、私達の為のエネルギーが残っておらず、母親の前に立っている二人の幼女は、母親の愛情と注意だけを望んでいた」とディナは語る。

 「子供の時には母親を襲ったトラウマと、エバを探す執着を理解することが出来なかった。母親はたった一人でエバを探しにヨーロッパまで行っていた時期があったのを覚えている。彼女は孤児院を訪問し、子供達の顔を見たいので中に入れてほしいと従業員に懇願し、子供の一人がエバであるかも知れないと信じていた。しかし毎回帰宅すると心が折れて悲しみにふけていた」。

 成長したディナとジンは、残念ながらエバは殺害されたのだと信じることにした。想定によるとアウシュビッツに送られた150万人の中で、130万人がナチスによって殺害されたからだ。このような数字では、赤ちゃんであったエバが生き残れる可能性は少ない。一方で二人の成長過程はもう一つの知識をもたらす、「自分に子供が出来た時、子供は自分の一部となる」とディナは語った。「自分の子供達を抱きしめた時、母親の長年にわたる探索と執着心を一瞬で理解した。その時まで母親の事を十分に理解していなかった自分を責めた」。

 1996年にドーラは脳腫瘍で他界した。自分の最期が近づいた時、病床の中からディナとジンに対し、エバを探し続けることを約束して欲しいと頼んだ。その後二人はインターネットのソースで、死亡記録を探そうと試み、また大戦後に関係が失われた人間を探し出す組織にも依頼した。しかし毎回同じ回答しか得られず、エバの情報は存在しないという内容であった。

 「探すには情報がとても少なかった」とディナは語った。「唯一の情報はエバという名前だが、彼女は赤ちゃんの時に母親から引き離されたので、彼女が生き残っていたとしても名前が変わっており、自分の名前がエバだという事でさえも覚えていないというのが妥当であった。自分の本当の名前させ知らない人をどうすれば探し出すことが出来るのか」。

 最後の切り札として、ディナとジンはMyHeritageのDNA検査を実施することを決心した。その数週間後に結果を調べる為に最後に入ってみると、その結果が信じられず、検査解析によるとイギリスに姪っ子が住んでいるとのことであった。最初ディナとジンは間違いかと思った、何故ならイギリスには親戚が住んでいないからだ。しかし二人は目を見合わせお互いに言った、「OMG、姉を見つけたのか?」。

 同時に大西洋の反対側でもドラマチックな同じ現象が起きており、イギリスに住む52歳のクレア・レイは、二人が検査を受けた会社から届いたメールを開けていた。「DNA検査結果が出ています」と件名に記されていた。リンクをクリックすると結果を見て彼女の口は開いたままになった、アメリカの二人の叔母、ディナとジンと一致していたからだ。

 「母親の名前はハバで、2014年に他界した」とイギリスからの電話でクレアは語った。「私の母親が知っていたことは、赤ちゃんだった時にホロコーストで自分の母親を失ったが、母親の詳細は全く分かっていなかった。大戦後に母親は青少年帰還の枠内でイスラエルへ行き、ベルギーから帰還した夫婦の養子となり、ある時期に家族はイスラエルを離れてイギリスに移住した。ここで母親は育ち、結婚し、私を生んだ」とクレアは語った。「それ以上の情報は全くありません。母親が毎回自分の事に関して調べようとすると、いつも行き止まりにぶつかり、自分の本当の名前さえも知らなかったからだ。とにかく私がDNA検査をした時は、私の母親の家族の歴史を発見できるとは全く信じておらず、こんなドラマチックなDNA結果を得られるとも思っていなかった」と語った。

 3人はMyHeritageのHPの通知システムで連絡を持ったが、ディナが一番疑い深く、検査結果の意味は何なのかをサポート課に連絡することにした。「興奮が冷めないうちに、まずどのような意味なのか、自分が安心できるように誰かに説明して欲しかった」とディナは語っている。

 電話の向こうにいた代表者は、ディナに対してDNA検査結果は正確であると説明した。「あなたと妹のジンには、クレアという名前の姪っ子がイギリスにいます」。それを聞いてディナは不思議な背景を代表者に説明することを決心した。「詳細を聞いた代表者はとても感激し、調査課にこの結果を伝える許可をお願いしてきた。同日に調査チームが私に連絡をしてきた」とディナは語った。

 MyHeritageの調査員は目標を掲げた。この話を裏付ける情報をできる限り集めることだ。ディナ、ジンとクレアから手元にある全ての情報を提供して欲しいと依頼した。「家族から情報を得た後に家系図を作成し、そこから全ての情報が調査の最初から最後まで集中することとなる」と、同社の調査員であるニタイ・アルボイムは語った。「家系図に情報を入力すると、同社のデータベースにある世界中からの数十億にのぼる歴史的記録の自動検索を開始するシステムとなっている。調査の進歩を支援するとても強力なツールである」。

 まだ家族がヨーロッパに滞在していた時代の大戦後に発行された証明書を調査員は直ちに発見した。この証明書によると、ドーラと彼女の家族は、勿論エバは存在していないが、アメリカ軍がコントロールしていたドイツのバーマン市付近にあった軍キャンプに滞在していたことが分かった。「彼女の家族は我々が発見した証明書の存在を知らず、故人の母親ドーラの名前と一緒に、二人の名前が掲載されているのを見て、ディナとジンはとても興奮していた。これはただの始まりで、その後我々が発見したものに対しては誰も予想していなかった」とニタイは語った。

 クレアは調査員に対し、母親のハバは1940年代末にイスラエルへ来たと語った。また母親のイスラエル・パスポートの写真を送り、調査員は調査を大きく前進させる鍵となる情報をそこで発見した。ハバの養子前の名前はラストマンであったのだ。

 「イスラエルに帰還したリストの数百ページに目を通し、1948年2月の船上にエバ・ラストマンという少女が乗船していたことが判明した。この発見はとても重要であり、エバがイスラエルへ初めて足跡を残した証拠であり、勿論彼女がハバである。ここから彼女を後を追跡することが可能となった」とニタイは語った。

 しかし系図研究の常であるように、発見される情報は常時新しい疑問を生み出す。まず帰還証明書ではエバ・ラストマンはエリツラ・ラストマンというもう一人の少女と一緒に帰還し、デニーファ・ラストマンという大人の女性も一緒であった。またエバにはテルアビブのベン・ユダ通りに親戚が住んでいるとも記している。となると最も疑問であるのは、ラストマンという名前は何処から来たのかということであった。

 情報がどんどんと増えてきた後に、調査員達はハバの帰還ファイルを発見することに成功した。「シオニスト・アーカイブの係員が、エバの帰還ファイルが全部残っていると伝えてくれた時には、身体中が震えた」とニタイは語った。「70年以上も経って、失われた娘の人生の岐路に関する多くの質問への回答がやっと見つかったと感じた。黄色く変色した紙で埃に包まれたファイルを前に座り、それを開いてみると最初のページの一番下に手書きの文章を発見し、彼女の話を全て物語る記録であった。”母親がいるが詳細は不明”と」。

 イスラエルへ帰還後、ハバはパルデス・ハナの孤児院に入った。しかし一人ではなかった。船上で一緒にいたエリツラ・ラストマンも一緒に入り、帰還者リストのエバの名前の一つ上に彼女の名前も記載されている。ファイルを調べてみると、孤児院に某女性が到着し、エリツラだけを何故か連れて行き、ハバはそのまま取り残された。自分の母親から引き離されてから数年後、再度孤児院でたった一人取り残されたのだ。

 このミステリーな女性を探す試みは失敗したが、ハバを連れて行かなかったことが謎でイスラエル当局を困惑させた。当時イスラエル当局でもハバの家族を色々な方法で探しており、イスラエル国内の新聞で広告も掲載されている。

 ハバはパルデス・ハナの孤児院で数年間過ごし、ハバツェレット村の孤児院に移転され、そこへベルギーからイスラエルへ帰還した子供のいない夫婦がやって来て、彼女を養子とすることを依頼した。孤児院を訪問してハバと出会い、金髪の美しい少女に一目ぼれしたのだ。ハバも二人を親しく思っていた。イスラエル当局でも中間決定がなされ、ハバは一定の時期を夫婦の元で暮らし、同時に彼女の家族も探し続けるということであった。

 少女の出身情報や家族の情報を探し出す試みは大々的に行われ、ヨーロッパの青少年帰還課にまで使節団が訪ね、知人や彼女を以前見たことがある人を通じて探したり、ジューイッシュ・エージェンシーの代表者へ手紙を書いたが、何処でも行き当たりにぶつかってしまった。

 全ての可能性を試みた後に当局は避けられない結果に至った。ハバはモサドメンバーによるB帰還でイスラエルへ帰還した、又は簡単な言葉で説明するとラストマンとは彼女の本当の家族名ではなく、イスラエルへ来た時に彼女が持っていた証明書は偽造されたものであった。

 一体何が起きたのか。帰還者ファイルを調べると、ヨーロッパでB帰還組織メンバーが活動していた時に、家族もいない見捨てられた少女と出会った。組織のメンバーは彼女を混乱したヨーロッパに残してしまうと、とても残酷な運命になると知っていた。彼らは直ちに彼女を救助する活動を開始し、ラストマンという家族名を持った偽造書を持っている組織の活動家と一緒にさせ、彼女の娘(エリツラ)と一緒に全員船でイスラエルへ帰還した。

 「最初にクレア、ディナとジンに聞いた質問は、エバに与えられたイスラエルの名前がどうしたらハバになったのか、というのはそのままヘブライ語化しているからだ」とニタイは語る。「これは偶然ではないと最初から感じた。B帰還メンバーの関連性が、この謎を解く可能な理論を教えてくれるはずだ。もしかすると彼らは少女の名前がエバと書いた証明書を見たのかもしれない。組織のメンバーは、厳しいイギリスの支配下にあったイスラエルへ彼女を帰還させるには、彼女の詳細の何かを変更する必要があり、そこにラストマンという家族名を付け足したのであろう。個人名のエバは、彼女の身元の一部を残すという目的でハバにしたのであろう」。

 70年以上も経過した捜索は終点に至ったが、クレア、ディナとジンが全員で会いたいという期待に反し、コロナ禍でそれが実現できていない。イギリスでもアメリカでも封鎖が継続し、ソーシャルディスタンスの規制や、フライトが無いことが不可能とさせている。「75年経過し、皆で会える日を毎日数えている」とクレアは語った。

 現時点では3人は、このMyHeritageの調査とDNA一致の感動する出来事を消化しており、いつも問われていた質問に対する回答をやっと得られた。「毎週皆でズームで会話し、お互いのギャップを埋め、共通したことをどんどんと発見している。例を挙げればエバとドーラのように、私達も写真と濃い色で輝くジュエリーが好きなのを発見した」と3人は語った。

 「感激の発見後に起きた全ては素晴らしく、自分の感情を表す言葉も見つけられない」とディナは語っている。「この冒険はとても長く、現実が本物と信じられないくらいだ。現在私達はエバの人生に起きたことを沢山知っている。やっと彼女の写真や動画を得られ、彼女の姿が復活して私達に笑顔をもたらしてくれる」。

 「それ以上にクレアの母親のハバと、私達の母親であるドーラとの間の相似が信じられず、顔、体つき、髪の毛を染めた色、全て同じであること。これらの資料を見ると、彼女は素晴らしい姉であるだけではなく、母親のツイン・ソールでもあったのだろうと想像することが出来る」。

 この感激的な話の終焉に唯一心苦しいのが、「もしこうだったなら」という思考である。もし二人がもっと早くにお互いを見つけていたら、もしドーラとエバが生きている間に出会えたのなら。ディナは全ての事は理由があってある時に起きるものだと信じている。どちらにしても彼女は今ここにあるもので満足している。ディナとジンは母親の最後の遺言を実現させ、今母親は天から見つめ、心の静寂を取り戻したと知っている。「二人で一緒に天国にいるでしょう」とディナ、「二人とも出会っている」とクレアが語った。

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