「八日目の聖会」とスーコット祭(仮庵の祭)の最終日が聖書に書いてあり、その日も祭日であることが記されている。「八日目の聖会」という聖書の表現は、祭日がもう一日追加されているという意味であるが、スーコット祭は「七日間」と記されているので、8日目はスーコット祭の一部と考えられておらず、全く違う祭日、聖会の祭と考えられている。
聖書にはこの日に関する記述はなく、「聖会」とだけ記されており、「聖書を読み」安息しなければならないとだけ書いている。特殊な律法が存在しないため、ペーサッハ祭やスーコット祭とは違い、シャブオット祭(初穂の祭)に似てはいるが「聖会祭」なのである。
出エジプト記に記されている祭日の犠牲リストでは、スーコット祭では毎日多くの牛を捧げていたが、聖会の日は一頭だけとなっている。また八日目の聖会の追加祈祷で雨への祈りが始まるようになっている。
タルムード時代のバビロンで八日目の聖会の特性が大きく進化する。スーコット祭の九日目、離散しているユダヤ人には二日間の祭日が義務付けられている為、八日目の聖会の追加日となっているこの日は、一年かけて読んでいるトーラー(モーセ五書)を読み終わり、また創世記から読み始める日と決定された。そこからスーコット祭の九日目に「律法伝授の日」が誕生した。この祭日は、バビロニア・タルムードとバビロン賢者の律法と共離散しているユダヤ人達に段々と普及した。
イスラエルの地ではこの祭日は存在していなかった、何故なら一年かけてトーラーを読む習慣がなく、三年以上かけてトーラーを読んでいたからである。しかし離散したユダヤ人達がこの地に戻り、律法伝授の日をお祝いすることを願った。イスラエルの地ではスーコット祭の九日目は存在しないため、八日目の聖会がこの祭日に決められたのである。
それ以来今日に至るまで、イスラエルの地の八日目の聖会は二つの意味がある。「八日目の聖会」と「律法伝授の日」でもある。三大巡礼祭の中でも最も混み合う祭日と変化していった。何故なら海外では二日間でお祝いしていたのを、イスラエルの地では一日に短縮したからだ。この祭日は特殊な相反する特徴も有している。一方ではとても重要で真剣な八日目の聖会と、もう一方ではとても嬉しく楽しい律法伝授の日となっている。