約束された地に入ったヨシュアが建てた石造物は、エバル山で3,200年の時を過ごし、ユダ・サマリア地方に於ける古代ユダヤ人の生きた証拠でもある。パレスチナ当局はその遺跡の城壁を削り取り道路の砂利に変えている。
エバル山のヨシュアの祭壇は、モーセの命令通りに約束の地に入った後に、イスラエルの民にヌンの子ヨシュアが祝福と呪いを分けた場所でもある。この特別な出来事は紀元前13世紀末とされており、エリコとアイを攻め落とした後で、その当時イスラエルの地に君臨していた29人以上の王達とヨシュアが闘う前でもあった。
イスラエルの初代首相ダビッド・ベングリオンも、自分自身をヌンの子ヨシュアの現代版として見ており、離散後のイスラエルの地に於けるイスラエル民族の最初のリーダーであり軍勢の長でもあった。祝福と呪いの意味をベングリオン首相は、イスラエルの独立宣言と独立戦争が起きたことと同様であると捉えていた。
1980年代に考古学者であったアダム教授は、ヨシュアの祭壇の遺跡を発見し、申命記、ヨシュア記とイスラエルの地に入った話を裏付ける生きた証拠を提供した。パレスチナ当局は、ユダ・サマリア地方に於けるイスラエル民族の深い歴史的又は宗教的関係の証拠であるこの遺跡の重要性をよく理解しており、この遺跡に対して宣戦布告をした。
先週水曜日にその事件が起きた。パレスチナ人の重機が祭壇の外壁を崩し始め、付近にあるアツーラ・アシュマリヤ村とシケムとの間の道路に砂利を使用する目的である。背後で重機が破壊しているのを見ながら、道路建設業者はこう語った。「エル・ボルナット(この遺跡がある山脈名)の石を崩し、道路用の砂利を作っている」。
この大きな事件が起きて30時間後にネタニヤフ首相はやっと声明を発表し、「責任者を逮捕して遺跡を警護する」とコメントした。事件発生から48時間後の翌日、イスラエル大統領もこれに加わり、国防大臣にこの事件を調査し、「国家遺産にダメージを加えさせないよう」警護するよう呼びかけた。
イスラエル指導者達のコメントの遅さと同様に、自治体のコメントはもっと問題があり、この遺跡はB地区にある為に民事的な話であり、自治体には何の責任も無くコメントをする権利もないと回答した。この間違った政策が、サバスティアやテル・アロマで過去1年間でパレスチナ人が行った破壊行為を増長し、この状況を変化させる必要がある。
これらの遺跡は、我々の先祖の聖書の話に触れさせてくれるものであり、イスラエルの地への歴史的又は宗教的関連性を証明し、我々がこの地に存在する権利を与えるものでもある。パレスチナ人がそれらを理解しながら証拠隠滅を図っている時に、何もしないで我々が見ていてはならない。
首相と大統領が呼びかけたように、ユダ・サマリア地方に於ける国家遺産の遺跡をイスラエル軍が警備し、このような破壊や盗賊行為は断固として止めさせるべきである。肉体的な安全以上に国民の精神も重要で、一般市民の安全だけをイスラエル軍は守るのではなく、A、B、C地区であろうが我々の文化と伝統の遺跡も守るべきである。
オスロ―合意によっても、パレスチナ当局は「全ての考古学遺跡を守り保存する」義務がある。その為にパレスチナ人による遺跡の破壊行為を阻止するためのイスラエルの行動は、オスロー合意の違反ではなく、逆にパレスチナ人の違反を阻止するためのものである。
パレスチナ当局は、我々のイスラエルの地における歴史的証拠の全てを隠滅することを旗に掲げており、これに関してイスラエル国家ははっきりとした姿勢を見せるべきである。手遅れにならないように、よく考慮して企画し活動するべきである。
