1. 消えたランプ
古代のユダヤ人は、世界の他の民族のように日食のような天体の異変を恐れた。バビロニア・タルムードには、もし太陽が隠されているならば王様が客に対して光を消すようなものだと記述している。グマラーでは「太陽が欠けているのは世界への不吉な兆候である。これが何に似ているかというと、王様が自分の召使達の為に夕食会を開き、彼らの前にランプを灯した。あることで王様の怒りを買うことになり、彼らのランプは全部消されて暗闇の中で座ることになった」(バビロニア、スッカー29:1)。
2. プラハのラビ・ユダ・リブ―は恐れない
星座や天文学を信じたラビ達もいた。既に紀元前7世紀に預言者エレミヤは、「異邦の人の道に習ってはならない。また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、あなた方はそれを恐れてはならない」(エレミヤ書10:2)と語っている。16世紀にいたプラハのラビ・ユダ・リブ―は、トーラーの密教に関して学んでいたが、宇宙の動きに依存する自然現象である日食や月食は、人間の行いや罪の出来事と関連させることは全く意味がないことだと理解していた。
3. 世界で最初の日食預言
聖書でも日食に関して記述しており、アモス書には「主なる神は言われる。その日には、わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くし、あなた方の祭を嘆きに変らせ、あなたがたの歌をことごとく悲しみの歌に変らせ」(アモス書8:1)と記されている。研究者達によるとこの聖書の箇所は、第一神殿を破壊したバビロンでも記録されている、紀元前763年6月15日に起きた日食を予言したものだと言われている。
4. アブラハム
ビタミンDを身体に作るために、赤ちゃんを太陽にさらすことを医者達が推薦するよりずっと以前に、ユダヤ教賢者達は太陽に癒しの力があると信じていた。マラキ書には「しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている」(マラキ書4;1)と記している。バビロニア・タルムードにも解釈が出ている「アブラハムの首には宝石がぶら下がっており、それを見る病人は皆癒され、この世からアブラハムが他界した時には、主はその宝石を太陽に移した」。
5. 太陽と月の争い
バビロニア・タルムードの伝説によると、天地創造の後に太陽と月はサイズと光が同じであった。月が両者の存在に文句を言った「天の主よ、二人の王が一つの冠を被ることは可能でしょうか?」。注解書によると神はそれを聞いて月に罰を与え、そのサイズを小さくしてしまい光を奪ったと書かれている。
6. 暦の争い
キリスト教の世界(つまり全世界)では太陽暦を使用しており、地球が365日かけて太陽を一周するという意味である。イスラム教の世界では新月から一か月が始まる太陰暦を使用しており、月の最初の光が見えた時からという意味であり、4週間ごとにそれが繰り返される。ユダヤ教では両者を組み合わせることに頑なになっており、太陽暦と太陰暦の間には約11日間のずれが生じることから2~3年ごとに閏年があり、アダルの月が2回繰り返されるために過越し祭が必ず春に来るようにしている。
7. 誰が誰を回している?
ユダヤ教の伝承によると、太陽が地球の周りを回っている。16世紀にポーランドの天文学者がそれは反対だと証明した。多くのラビ達はこのテーマに関して話し合うことを避けているが、故ラビ・メルバビッチはこのユダヤ教伝承を見捨てる理由はないと考え、そのためにアインシュタインからも助けを求めた。「正確な科学の基本として絶対的に受け入れられた相対性理論は、幾つかの革命的な結論を近代科学にもたらした。今日科学者達は、二つのシステムが相互に向かい合って運動している時は、どちらが静止してどちらが運動しているかを決めることは不可能であり、もしかすると両者とも運動しているかもしれないと理解している。それならばアインシュタインによると、太陽が止まってその周りを地球が動いているのか、その反対であるのかを確実に決定するのは科学的に無理であるということは明白である」。
8. 解釈論争の宇宙イベント
他にもユダヤ教の伝承と衝突する宇宙イベントは「日よ、ギベオンの上にとどまれ(ヨシュア記10:12)。ヨシュア記(紀元前14世紀頃)によると、南の王達がイスラエルの民と契約を結んでいたギベオンの人達に戦いを挑んだ。その時にヨシュアは神に祈り、太陽と月の動きを止め、敵の軍隊を撃退して追跡を完了することができたと記されている。預言者の言葉では「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
一部のラビ達は星空が止まるという可能性は受け入れがたいと言っている。一人はフランスのラビ・レビ・ベンゲルショムであり、聖書の注解者、天文学者と数学者としても有名な人物である。彼の解釈によるとイスラエルの民の勝利が速攻で起きたため、太陽が動いていないように戦場で感じたのはないかとのこと。ラビは奇跡が無かったとは言っていない、奇跡はその戦いの勝利であり、天空で起きたことではないと言っている。
9. 光の祝福
毎朝の祈りの時に、「光の創造主」という名の特別な祝福があり、太陽を創造した創造主への祝福と感謝の祈りである。一方で聖書では、イスラエルの民が偶像崇拝者達のように太陽や星に対して崇拝することを禁じている(申命記17:3)。この些細な困難を解決する方法は、太陽を創造した神を祝福し、異教徒のように太陽崇拝はしないということである。
10. 28年に一度
2009年4月8日にユダヤ人が嘆きの壁に集まり、世界中でもユダヤ教徒や信者が集まって、日の出とともに「太陽の祝福」の祈りを捧げた。ユダヤ教の伝承によると28年に一度ニッサンの月に、宇宙は天地創造の第一日目と同じ位置に戻ると信じられている。もし2009年の祈りを見逃したならば、次は2037年4月8日に起こる予定を携帯電話のカレンダーに入れておけば大丈夫。