二人の女性と頑固な男性:最初のヘブライ人家族の罪

 今週の聖書朗読箇所は、最初のヘブライ人家族の履歴である。良きヘブライ人家族にふさわしく、次世代へのヒントとして、聖書の多くの部分は食事に捧げられている。

 天使がアブラハムのテントの近くを通り、アブラハムは彼らに休憩と少々の食料を提案した。「わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください」(創世記18:5)、しかし王の食卓用に振舞う。「そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った。”急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい”。アブラハムは牛の群れに走って行き、柔らかな良い子牛を取って若者に渡したので、急いで調理した。そしてアブラハムは凝乳と牛乳およい子牛の調理したものを取って、彼らの前に供え、木の下で彼らのかたわらに立って給仕し、彼らは食事した」(創世記18:6~8)。

 ちなみに聖書では、食事の準備に於ける伝統的な性別区分を表しており、この区分は多くの家庭で今日まで守られている。男性が肉を調理し、女性が植物の食事、パン、ペストリーと野菜料理を用意する。

 個人的には生地をこねるのが好きで、コロナの時代にイースト生地をこねるのは心理治療でもあった。生地をこねることは、この伝統的な動きを継承した我々の母サラにまで達する女性の連鎖に自分をつなぎ合わせてくれる。

 アブラハムの家から天使たちは、彼の従妹が住む罪深い町へ向かっていく。ロトは天使たちに食事なしの宿泊を提案し、彼も提案した内容より多くを与えたが、アブラハムの食事とロトの食事との差は大きい。「トロは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた」(創世記19:3)。

 町の破壊を正当化するために、聖書の語り手はアブラハムのもてなしと、ソドムの偉大なもてなしと比較している。破壊自身ではロトの妻が塩の柱に化し、娘達は父親へのソドムの饗宴を続けて彼を酔わせる。

 その次にアブラハムはサラと寝て、大きな心の負担が降ろされる。サラが妊娠して男の子を生む。彼女は豊富な母乳へのパーティーと感謝の歌で、彼女の遅い若返りを祝福する。「サラが子に乳を飲ませるだろうと、だれがアブラハムに言い得たであろう」(創世記21:7)。

 アブラハムとサラの家の豊かな食料の記述は、本当の食料のドラマへの前書きである。養育費を支払わない金持ちで有名な父親、日々の苦しい生活をしている母親と飢えて死にそうな子供の話は、今日でも起きている古代からの話である。「そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、”わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない”と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。…神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた」(創世記21:14~19)。

 ハガルを追い出したかったサラの心も理解できるが、この行為は許されない。嫉妬の中から彼女は残酷な要求を提示する、「このはしためとその子を追い出してください」(創世記21:10)。神はアブラハムに対してサラの言うことを聞き入れるように命じ、ソドムに関しては交渉したアブラハムでもこれに従って二人を追放することとなる。

 アブラハムがハガルとイシマエルの追放を受け入れた時に、彼は心を閉じて要求されたこと以上を実行する。個人の考えで二つのことをアブラハムは行った。一つは神がイシマエルに将来を約束しているので子供は荒野で死ぬことは無く(サラにも妊娠する約束を神が与えたことを教えず、彼女は天使たちが話していることを盗み聞きする必要があった)、心配する理由がないということをハガルに教えなかったこと。聖書の語り手はハガルがイシマエルの将来に関して全く知らず、彼女の恐怖心を「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」という聖句で証明している。

 もう一つはもっと残酷なもので、アブラハムはハガルを死なせる為に荒野へ送り出す。アブラハムが二度もサラをキングサイズのベッドへ送って子供をもたらした。彼はハガルとイシマエルを荒野よりもっと安全な場所へ送ることも出来たはずで、最低でも彼らを安全な場所へ連れて行けるラクダを与えることも出来たはずだ。片手に子供、もう片方にパンと水だけを与えて荒野に送り出す者は、パンと水は子供騙しで実際には死なせる為に送り出していたことを知っていたはずだ。

 アブラハムは見ぬふりをした。彼には頑固な男の本能がある。彼は追い出した二人がどうなるかも知りたいと思わず、分かれるなら最後まで。死のみだ。

 今週の聖書の個所は二人の女性ハガルとサラに関してで、二人の息子が頑固な男から奇跡的に救われる話である。ハガルはエジプトのはしためで追放され恐怖にかられ、自分の意見も言えず、息子の父親から養育費を訴える手段もなかった。

 財産も無く弱り切った母親が、夫が彼女と息子を死に追いやるのを知っているという残酷な状況を想像してみると、彼女は自分の判決に対して反対する可能性があったということも信じていなかった。ハガルは弱り切っていたために、助けを神に嘆願することもしない。彼女の地位に適したように、彼女はその判決を受け入れ、息子の死を嘆かないように自分を保身する。ソドムの罪はソドムだけの話ではないようだ。

 今週の追加朗読箇所は心を打つ。ハガルの静かな放浪に対し、追加朗読では地位の違う女性が養育費を勝ち取る話である。

 「預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った。”あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです”。エリシャは彼女に言った、”あなたのために何をしましょうか。あなたの家にどんな物があるか、言いなさい”。彼女は言った、”一びんの油のほかは、はしための家に何もありません”。彼は言った、”ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。そして内にはいって、あなたの子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれを取りのけておきなさい”。彼女は彼を離れて去り、子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、子供たちの持って来る器に油をついだ。油が満ちたとき、彼女は子供に”もっと器を持ってきなさい”と言ったが、子供が”器はもうありません”と言ったので、油はとまった。そこで彼女は神の人のところにきて告げたので、彼は言った、”行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮らすことができます”」(列王記下4:1~7)。

 預言者のともがらとは、エリヤとエリシャの周りに集まった、預言者学生であったとも思われる。物欲を求めない道を選んだ人達だが、特殊な地位と人生経験を得られる人達でもあった。この叫ぶ女性の夫は遺産もなく、死後家族に何も残さなかった。もう少ししたら子供たちは奴隷として取られてしまう。ハガルとは反対に、寡婦は自分の地位と権利に熟知し、リーダーの彼女に対する義務にも熟知していた。

 この追加朗読箇所を今週の聖句と一緒にした人は、ハガルに対して自信、声と地位を与えたかったようだ。彼は弱り切ったハガルに対し、リーダーに対して自分と二人の息子を救うように訴える女性を対峙させている。多分エリシャも最初は驚いたであろう、何故なら叫ぶような女性(いつかは彼も慣れるだろう)のようではないハガルのような女性に慣れていたが、しかし助けを叫ぶ弟子の寡婦に対して弱みを見せることはできないエリシャに選択の余地はなかった。

 この追加朗読箇所を今週の聖句と一緒にした人は、我々の捕らわれた姉妹、難民、弱った者達や利用されている者達の権利に関して、闘い訴えることを男女ともやりなさいと教えてくれている。

 最終的に聖句でも追加朗読箇所でも、男性はやる気がないのか又は役割を果たす気が無く、食料を与えることもない。男性に依存している女性と子供達は死を直前にし、天の父である神がまた救助活動の要求を受ける。

 語り手は、偉大になりたい男性達をどうやって信頼すればいいのかと問いかけている。偉大な異邦人のリーダーか預言者、しかし自分がこの世にもたらした子供にパンと水を与えることさえできない人達。

 今日も以前と変わらず、リーダーシップとは自分の民衆に最も基本的な必需品をもたらすことが出来るかが試される。イスラエルでも貧困家庭はいる。食べ物と薬の選択を余儀なくされる老人達。信頼できるリーダーシップとは、我々に食料、住処と健康を与えるものである。

最新記事

すべて表示

「ユダヤ人帽子」がキッパ(黄色いダビデの星にも)の先祖になった歴史

ユダヤ教の歴史に於いて、最も忌むべき着物は勿論黄色いダビデの星である。この小さい布切れを13世紀以降、西ヨーロッパのユダヤ人達は身に着けることを義務付けられ、ポーランドに侵攻したナチによって後世に再利用された。しかし西ヨーロッパのユダヤ人達は、他の身に着ける物により、ずっと以前から差別化されていて、それがPileus Cornutusuというラテン名の「尖がり帽子」で、今日最も知られているユダヤ教

キリスト教に関して知らない10の事

悪いことが起きないように木を叩く?成功を祈って指を交差する?「地の塩」や「町に預言者はいない」という諺を使う?これらはユダヤ教の世界に浸透した、キリスト教の影響の氷山の一角だ。キリスト教の世界で「イエスの割礼祭」をお祝いしている今日、世界で最初のキリスト教徒であったユダヤ人賢者の事を学ぶのにふさわしい日でもある。 1.イエスという名 ユダヤ人達が「イェシュア」と呼ばずに「イェシュー」と呼ぶことを嫌

ゴミ箱の近くで祈って良いのか

コロナ禍の影響でシナゴーグ内での祈祷が制限され、室外で祈ることを余儀なくされている信者達から様々な質問がラビへ送られてきている。 質問: 各家庭専用のごみ箱が家の近くの通りに設置されるようになった。ゴミは1週間に2回回収され、普段は蓋が閉まっている。このようなゴミ箱の近くで祈る律法はどのようなものか?どれくらい離れる必要があるのか?祈祷中にゴミ箱が視界に入らなければ良いという意見もあれば、臭いがす

熱気球 - ピンク
パイナップルのアイコン - イエロー
包まれたギフト
Wine%20Bucket%20Icon_edited.png
イスラエルのフォトアルバム

© 2020 Saigoaki. All Rights Reserved.