中東を変えた20分間:シャロンの神殿の丘訪問事件

 数年前に偶然出会った時に警察署長のヤイール氏が、当時の首相であったアリエル・シャロン氏にセンシティブな質問を投げかけてみた。「首相殿、もし神殿の丘に上る前に諜報部から情報があったとしたら、神殿の丘への訪問は延期していましたか?」。警察署長によるとその質問に対してシャロン氏は全く躊躇せずに「延期していた」と回答した。

 しかし2000年9月には、公式な諜報部から当時の野党党首でリクード党議長であったシャロン氏には何も届かず、新年祭の時に他の政治家達と共に神殿の丘に上った。その直後に第二次インティファーダが始まる。20年経った現在、当時神殿の丘にいた両サイドの人達や、リアルタイムに問題点を知っていて忠告したが聞き入れてくれなかったという人達と合ってみた。

 アメリカ大統領クリントン氏の仲介により、キャンプ・デービッドで行われた集中的な交渉が失敗してから数日後のことである。当時の首相であったエフード・バラク氏はアメリカから失望感と共に帰国し、パレスチナ人をパートナーとしてみる日々は終了し、アラファトの真の顔が暴かれたとイスラエル市民に発表した。

 しかし中東では発表と実行は別々のものであり、バラク氏はアラファトの代表者達との会談へ自国の代表者達を送り、国会では政治的な崩壊があったにも関わらず、政治的なプロセスを再稼働させようと試みていた。しかし毎回アラファトはイスラエル人を侮り、時間を費やし、何らかの政策を打開可能にするドラマチックな決定を拒んできた。

 「バラクは神殿の丘と旧市街を明け渡す用意が出来ていた」と、シャロン氏の息子、ギルアド氏は父親が神殿の丘に上ることを決定した理由を語った。「市民は明け渡しには反対していた。父親は以前に何度も神殿の丘を訪問したことがあったが、この時には神殿の丘を保守したいという市民の要望を表す為に上った。バラクは弱かった、彼はテロ攻撃中でも交渉する用意があった。野党党首であれば、何をやっても政治的に見られるのは明確だ。バラクが自分勝手な決定を下すことはできないということを見せるのが重要であった」と語った。

 ここで疑問に思うのは、シャロン氏が神殿の丘に上るのを許すのかどうかという議論が、バラク首相のところで行われたかどうかである。「原因と諜報部から受けた情報を基に当時の状況を判断すると、何が起きるかも分からないことに火をつけるような行為をするのは賢くないと思う」とバラク総理府責任者で、パレスチナ人との交渉の使節団の一人でもあったギルアド弁護士は語った。

 「アラファトが恒久的解決枠の合意に同意していたとしても、何らかのコントロールされた暴力的なプロセスを発動させることは知っていた。いつどのように起きるかは分からなかったが予想出来ることであったし、諜報部の予想もそうであった」と述べている。

 警察でもシャロン氏の訪問を阻止するか、又は最低でも延期する必要があると考えていた。「訪問には反対し、その意見を書面にして渡し、エルサレムやその付近で暴動が起きるとも伝えていた。その暴動が地域的、又は散発的に終わらないことも明確であった」と当時エルサレム地区警察署長であったヤイール氏は語った。

 「首相との会談前に当時の国内安全保障大臣であったシュロモ氏が、ジャブリル・ラジューブ氏と話し合った時に言われたことを教えてくれた。それを正確に引用すると”シャロンがモスクに入らないなら問題ない”。シュロモ氏に私はこう言った、”ジャブリルは神殿の丘にいる群衆をコントロールすることはできない”と」。

 神殿の丘に上る数時間前に、警察署長はバラク首相に対してシャロン氏と話すように促した。「首相は私に対して、半分シニカルに半分真面目に何をすればいいか聞いてきた。”もちろん首相としてのあなたは、野党党首に対して神殿の丘に上るなとは言えないが、私か他の治安関係者を送って訪問延期を頼むのがいい”と答えた」。しかしバラク首相は彼の提案や他の関係者達の似たような提案を全て退け、どうやら神殿の丘への訪問に許可を出さないことは、自分の政治的弱さとして受け取られることを恐れたようだ。

 「不安もあったし、この訪問は不必要だと考えている者達もいた。しかしこの訪問の延期や制止を目的とした政治的接触は全て失敗した。新年祭という日付に訪問することを重要視し、訪問が実現することとなる」と署長は語った。

 リクード党議員で元大臣のイヨブ氏は、神殿の丘を訪問した時にはシャロン氏に同行していた。「シャロンは、バラクがするであろう非常に困難な神殿の丘の譲歩が、正当化したものかどうかを客観的に自分の目で調べたかった。会議で神殿の丘に上るかを考えた時に、ある意味ナイーブであった。その時には多分アフマッド・ティビが騒いで終わるだろうとしか考えていなかった」と語った。

 その神殿の丘の訪問をイヨブ氏は忘れていない。「狂気と恐怖と困難な一日であった。訪問時の我々に対する憎しみは表現できないくらいだった。短時間の間に暴動が起き、ホラー映画のようであった」と語った。

 群衆を扇動するためにシャロン氏を現地で待っていたのはアラブ人の国会議員達であり、神殿の丘でシャロン氏と議論し、政治的、メディア的な騒動を起こすのが目的であった。「訪問は火遊びであると公式に発表した。シャロンの宣言目的は火をつけることであった」と、神殿の丘で待っていたアラブ人議員の一人であったアフマッド・ティビ氏は語った。

 「エルアクサ寺院はイスラム教徒のものであり、訪問する必要はない。インティファーダ以前には誰でも訪問でき旅行者も入場していたが、シャロンは旅行者ではない、支配者の挑発だ」と述べた。「シャロンの目的は、我々の寺院が彼のものということだった。これはとてもセンシティブな事柄であり、我々を傷つけた。訪問自体が反イスラムと反パレスチナの過激な行動であった。シャロンは戦車で入場するべきではなかった」と述べている。

 神殿の丘の緊張した訪問は、たったの20分間だけであって長時間ではなかったが、エルサレム、ユダ・サマリア地方とイスラエル全土で暴動を起こすには充分であった。もしこの訪問が、密かに計画されていた暴力と第二次インティファーダに火をつけたマッチであったとしたら、翌日には数年間それらを給油した燃料と変わっていった。

 「木曜日の訪問時には少し投石はあったが、それ以上の争いには発展せず、比較的静かに終了した。ただし翌日の金曜日には必ず暴動が起きると予想していた。国内諜報部からは金曜日に関する情報はないと言ってきたが、情報はないけれども扇動は続いており、神殿の丘への訪問を制止出来なかったことにより、金曜日は暴動が起きるであろうと伝えた」と署長は語った。

 翌日の金曜日に神殿の丘は戦場と化した。警察と軍隊は、金曜日の祈りが終わった後に起きた暴力的なデモを解散させる為に色々な手段を講じる必要があり、負傷者も増加していった。

 しかし皆が神殿の丘への訪問が、第二次インティファーダ引き金になったとは認めていない。「それはパレスチナ人の言い訳であって、訪問に関しては先方にも伝わっていた」とギルアド氏は語った。「パレスチナ人は武器を用意していた。当時パレスチナ人の殆どの暴力行為はパレスチナ治安部隊が誘導したものであり、この事件の場合も同様であった。テロと暴動でコントロールする。これが彼らの方法でありトリックであった」と述べた。

 この神殿の丘事件の数年後に、警察署長であったイサク氏が当時既に首相であったシャロン氏と出会った。警察官の一人がシャロン氏に対し、「もし神殿の丘の訪問前に、暴動への情報が入っていたとしたらどうしていたか?」との質問に対し、シャロン氏は躊躇することもなくこう答えた、「訪問を延期していた。もし諜報部の人が来るならば、与党と野党との政治争いとは全く違う状況となっているからだ」。

 「誰も父親に何も言わなかったし、訪問してはいけないとも言われなかった。この件に関して我々に全くジレンマはなかった。ユダヤ人が神殿の丘に上るのに何故ジレンマに陥るのかも理解できない、何故そんなに複雑にする必要がある?父親は素晴らしい野党党首であって、神殿の丘を訪問するのも彼の権利であった」とギルアド氏は語った。

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