ロンドンで希少な手紙:ラビがヘンリー8世に離婚するなと助言

 英国歴史の一章として、クイズ問題でも回答するのに難しい内容。イタリアのラビであったモデナのラビ・ヤコブ・ラファエルが、離婚を認めるユダヤ教婚姻法に関してヘンリー8世に意見を求められた。放蕩王は恋人であるアン・ブーリンと結婚できるように、アラゴンのキャサリンとの結婚を取り消す訴えを強化する為に、予想されていなかったソースから許可を得ようと願っていた。

 年は1530年、兄弟の寡であったキャサリンと結婚してから21年後、アン・ブーリン(男の子を生んで王位を継承させるように、キャサリンと離婚して自分と結婚することを説得した)に恋してから5年後、厳格なカトリック信者と考えられていた王は、兄弟の妻であったということで、最初からキャサリンと結婚することは禁止されていたという主張で、彼女との結婚を破棄するよう法王クレメンス7世に依頼した。法王はそれを拒否したが、王は諦めなかった。

 自分の顧問を通じて前述のように、ユダヤ教の教えに沿って離婚を実現する為にラビの意見を求めた。しかし1290年にエドワード1世がイギリスからユダヤ人を追放した為に、王の顧問達はラビを探してイタリアまで辿り着いた。

 モデナのラビ・ヤコブ・ラファエルの回答は、ヘブライ語とイタリア語の教育を受けたユダヤ人達の間で使用されていた筆記体で、ユダヤ教の教えを惜しまずに雄弁なスタイルで書かれており、様々な理由で解読が困難なものとなっている。結局王は手紙の中に自分の答えが見いだせず、ラビはキャサリンから離婚するべきではないと考えていた。

 この手紙は現在大英国立図書館の「書かれた言葉の旅」展示会中心に展示されており、大英国立図書館で保存されているヘブライ語文書約3千点の中の約40点が紹介されており、コロナ時代の重要な一つであるオンラインでも見られるようになっている。手紙自身は「ヘンリー8世の離婚に関連する手紙と文書」というタイトルの大きな本に綴じられた中に文書化されており、ヘンリー8世自身を含む重要人物の広範囲な手紙のやり取りが含まれている。

 大英図書館プレス課のナターシャ氏は、この本は1831年にロンドンの王立会社から大英博物館が購入し、1973年以来大英図書館のコレクションの一部になったと語った。大英図書館ヘブライ語、キリスト教、東方コレクション責任者のイラーナ氏は、「サイン入りの手紙は、王のイタリア人仲介者の一人であった思われる、フランシスコ・クリスト卿の質問に対するモデナのラビ・ヤコブ・ラファエルの回答である」と語った。

 彼女によると、議論は寡の娶りを中心に行われたとのこと。「クリスト卿は、申命記第25章で述べられているように、兄弟が子供授からずに死んだ場合、亡くなった兄弟の妻を娶るように命じる法律が、兄弟の妻との性行為を禁ずるレビ記(18章16節)の既存の禁止事項に規制されていないかどうかを確認しようと依頼した。ヘンリー8世は、アラゴンのキャサリンとの結婚を無効とする抜け道があるかどうかを尋ねたが、ラビ・ヤコブ・ラファエルの回答を解釈すると、女王への結婚は無効にすることは出来なかったようだ」とも語った。

 クリスチャンの王(ましてや異端尋問とスペインからのユダヤ人追放に署名した、フェルデナンドとイザベラの娘であるキャサリンと結婚したのだ)が、ユダヤ人ラビへ問いかけることに眉をしかめる人に対してイラーナ氏は、「歴史上でキリスト教徒がユダヤ人に助言を依頼するのは特に稀な光景ではなく、何故ならユダヤ人は聖書を深く学んだ人達であったからだ」と説明している。

 しかしラビの不十分な回答とカトリック教会の反対があったにも関わらず、1531年に王は女王から離れ、二人目の妻としてアン・ブーリンと密かに結婚してから5か月後の1533年5月に、カンタベリーの大主教によってキャサリンとの結婚は無効となった。同時に1534年には、英国議会で国王を英国教会の長と宣言する法律を可決し、それがローマ教会からの革命と離脱へと導いていった。

 「書かれた言葉の旅」展示会は4月半ばに閉会される予定で、宗教、科学、法律、哲学錬金術、カバラーや音楽など、様々なテーマを取り扱っている。「良く知られた象徴的な文書や写本に加え、未だ見たことも公開されたこともないものを紹介したかった」と、31年間大英国立図書館に勤めているイラーナ氏は強調した。「文書文化はユダヤ人会衆と世界を結ぶ最も重要なコネクションの一つである」。

 「ユダヤ人の文書は、地元の文化にインスピレーションされながら対話を行っている離散のユダヤ民族の会衆を反映している。離散しているユダヤ人会衆と、非ユダヤ人隣人間との相互作用と相互関係を強調しようとした。時には両者の関係には調和があったが、殆どが人種差別と迫害で特性付けされている。図書館のコレクションには、過去250年間のアイテムが収集されており、6年間の長いデジタル化を経てきた。クリックすることによって世界中の人達が外出せずに、バーチャル見学で展示館を体験することが今回初めて出来る。これは我々にとっても大きなお祝いである」とも語った。

 最も古いオブジェクトは、10世紀のヘブライ語聖書であり、残存している最古の重要なヘブライ語聖書の写本の一つと考えられている。エジプトを起源とした写本は、幾何学模様や花模様などのイスラム教芸術の影響を受けている。

 展示会にある他の宗教的文書の中には、14世紀を起源としたことを証明する濃い色合いをしたカタロニア語聖書や、17世紀のモーセ五書を含んだ中国のケープタウンのユダヤ人会衆が持っていた聖書もある。

 英国東部のノリッジで売却された家に関する13世紀の売却証明書は、ラビ・ウシャヤの妻であるミリアムが、売却前に不動産の権利を放棄していることを記している。イラーナ氏によると、「最も希少なものであり、何故なら離縁状の一部であった家の不動産事業を管理して、資産を持った中世時代のユダヤ人女性について記しているからだ。これらの文書はヘブライ語で記されており、非ユダヤ人住民と交渉を行っていたユダヤ人会衆の繋がりと関係を示している」とのこと。

 ノーリッジのユダヤ人会衆は、1144年にヨーロッパで初めて記録された悪名高い血の中傷で初めて言及されている。他のケースでは13世紀の30年代にも出てくる。この売却証明書は、実際には手記文書の膨大なコレクションの一部であり、イラーナ氏によると「図書館にある膨大なヘブライ語手記文書の一つであり、歴史的な観点からとても重要である」とのこと。

 イラーナ氏の個人的な見解として、「これらの文書はとても興味深く感動した、何故なら一部はヘブライ語とラテン語で記されているが、ヘブライ語だけで記されているものもある。当時の歴史的信憑性以外に、ユダヤ人達はビジネスのような様々な種類の事柄に従事していたことを示している。ミリヤムの売却証明書にヘブライ語で記されている”以下の署名者”の言葉は、ユダヤ人の証人がいたこと、つまり非ユダヤ人世界でも受け入れられた、ヘブライ語の契約書を使用した活発なユダヤ人会衆があったことを示している」と述べた。

 発見されたユダヤ人法的文書はヘブライ語で書かれており、中世の英国で使用されていたことを証明してるが、1290年にエドワード1世の悪名高い行為で、ユダヤ人が国から追放された僅か10年前の日付となっている。それから約250年後に王の後継者が、自分の結婚から救われることを望んでラビに助けを求めているのは、なんという皮肉であろう。

 展示会では13世紀のバビロン・タルムードの希少な写本も展示されている。イラーナ氏によると、中世時代のキリスト教当局は、彼等が神の冒涜として考えていた相当数のユダヤ人の文書や写本を抹消した。それでも多くが残ることに成功し、一部はロンドンの国立図書館に渡った。その中には17世紀版の「精製の本」があり、アルファベット順に詳細に記されたヘブライ語の文書で、カトリック教会が神学的に「危険」とみなし、異端として「疑わしい」箇所の抹消、又は検閲をもたらした。「タルムードという言葉でさえも、彼等にとっては蔑称的な言葉であった。その為にそれも抹消した」とイラーナ氏は語っている。

 この本の著者であり、キリスト教に改宗したユダヤ人のドマニコ・ヤロスリミターノは、ヘブライ語の本と写本を2万部以上検閲した。潜在的な反キリスト教の内容があると認識された一つは、ドイツ系ユダヤ人学者達によって書かれた、ヘブライ法に関する700年前の文書である。印付けられたサインから、文書の検査で4回の異なるイタリアの検閲が、1599年から1640年の間に実施されていたことが分かる。イラーナ氏によると、4回中の3回はキリスト教に改宗したユダヤ人によって検閲されたとのこと。

 しかし検閲は最も酷い運命では無かったとイラーナ氏は語る。「幾つかの文書で見ることができる。例えば”7回の調査”という本の写本には、1568年にボローニャの異端尋問によって拷問を受けたラビ・イシュマエル・ハニーナの事を書いている。彼は単に自分の宗教の代表として裁判に立たされ、ユダヤ教を擁護しなければならなかった。”7回の調査”は18世紀の写本であり、彼が回答することを強制された困難な7つの質問が記されている」。イラーナ氏は、この事件は16世紀にボローニャからユダヤ人会衆が追放された数か月前に起きたものだと強調した。

 17世紀の写本では、1589年にマグレブで起きたアラブ蜂起の結果が記されており、現地のイスラム宗教家指導者のイェヒ・イバン・イェヒが、オスマントルコ帝国によって支配されていた地域を占領した、別の迫害事件に関しても描写している。彼の占領した地域に住んでいたユダヤ人達は、改宗か死を選択することを迫られた。「神がトルコ王国の廃止を御手によって私を助けてくれたことをあなたは知っている」と、ミスラタのユダヤ人の物語を語る者として、イェヒ・イバン・イェヒの手書きで記されている。「その為に今日からイスラエルの名前を記憶してはいけない。もし反抗するならば、トルコ人に行ったようにあなたにも行う」。イェヒ・イバン・イェヒはオスマントルコ軍によって敗退し、ユダヤ人達は運命から救われた。

 イラーナ氏が展示会に入れた、最も印象的で壮大なアイテムの一つは、イエメンのユダヤ人会衆が所有していた、マイモニデスが編集した「迷える者ヘの手引き」の翻訳版である。1380年の写本は、ユダヤ系アラビア語で記されている。「本は金色と青色で後ろ立ちのライオンの絵で飾られており、研究者達は相似したシンボルを持ったスペイン王室にマイモニデスが近しい人であったことを示しており、それ以外にまたこの本はスペイン王室によって注文されたものであろうと予想している」とイラーナ氏は語った。

 笑みをもたらすアイテムの中には、16世紀のエリシャ・ベン・ガッドの「知恵の木」の本が突出しており、125の恩恵、お守り、呪文や秘薬の調合が含まれている。泥棒の捕まえ方から始まり悪魔のお祓いまで、安全旅行のお祈り、病気の治療、妊婦と愛に関する助言など。初夜の助言の一つには、「新郎と新婦との間の愛を強め、祝福を唱えることを終えた(挙式後に)新婦が式場から付いた時に、2枚のセージの葉に蜂蜜で二人の名前を記し、お互いに相手の葉を交換して食べること」と彼は記している。

 「冒頭でエリシャは、ベネチアへの旅行中にこれらの話を集め、現地で彼を泊めてくれたラビ・イェフダ・エルカベッツと知り合い、ラビの本のコレクションを自由に見ることができ、そこでユダヤ呪文の写本を発見してそれを書き写したと記している」とイラーナ氏は説明した。呪文本の他の書物は18世紀の「ソロモンの鍵」で、無名の著者は刑務所からの脱獄の提案をしている。床に船の絵を描き、絵の真ん中に立って船に乗っていることを想像するだけだ。

 魔法の他に科学的文書も見ることが出来る。「多くのユダヤ人学者は多言語を話した。異なる文化の交差点で、ユダヤ人学者達はアラビア語、ラテン語とヘブライ語を使って作品を翻訳した。彼等の最も重要な貢献は、ギリシャとアラブのアイデアを、キリスト教のヨーロッパへともたらしたことである。例えば展示会にあるアイテムの一つで、”医学の規範”がある。元はアラビア語で書かれたものだ。11世紀のエベン・シナが書いた文書で、中世の医療に最も影響を与えた作品となった。ここで展示しているのは約200年前の15世紀のコピーで、ナタン・ハマティという名前のイタリア系ユダヤ人によってアラブ顎からヘブライ語へ翻訳されたものである」。

 もう一つの例として16世紀から17世紀の写本で、北アフリカからと見られており、ヤコブ・アナトリーという名前のイタリア系ユダヤ人が翻訳した、アル・フラガヌスの「天文学の大要と、天体運動の要素」と呼ばれる作品で、その300年前にアラビア語で書かれていたものであった。翻訳版では「機能の知恵」と呼ばれている。

 同じように11世紀から12世紀半ばまで生きていたユダヤ人天文学者、数学者で哲学者であったラビ・アブラハム・バル・ヒヤは、元はアラビア語で書かれていた科学論文をヘブライ語とラテン語に翻訳したパイオニアであった。展示会では、15世紀のラビ・アブラハムのヘブライ語の翻訳書”地球の形と空の模様”のコピーが展示されており、続編の本のコピーとして「星座の計算」では、初めてヘブライ語で宗教上の祭日を決定するのに不可欠な、三角関数とカレンダー計算に関して論じている。

 最もイラーナ氏が好む文書は、彼女によると「小さい文書だが大きな重要性を持つ」もので、カイロ写本からの12世紀の質疑応答書であり、マイモニデスが自分で署名している。「そこには誓いを立てたユダヤ人が、マイモニデスへ誓いを無効とするように依頼したことが記されている。マイモニデスはこれに回答し、文章の最後に”モーセが書いた”と署名している。つまりこれが彼の最終結論であるという意味だ。この本を書き終わった直後にマイモニデスは死去した」と語った。

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