ユダの荒野のミステリーな宗教団体の秘密を探検(前編)

 ユダの荒野の最も興味ある地域の一つが、新しい散策トレイル、”巻物トレイル”と共に先週再開し、正式に印もつけられて一般公開された。。このトレイルは、死海正面のハヘエテキーム崖の麓から始まっており、その短いトレイルからは、死海写本が発見された数個の洞窟を展望することが出来、最終的にクムラン国立公園に辿り着く。

 殆どが平坦になっているこのトレイルは全長1.6㎞で、想像を掻き立てる歴史と共に、素晴らしい砂漠の景色を旅行者に提供している。洞窟が展望できる屋根付きの展望台には、詳細な説明の標識が建てられており、20世紀最大の考古学発見と世界でも考えられている、死海写本のストーリーを教えてくれる。

 最初のトレイルは、自然公園局、写本自治体と死海開発基金が約3年前に建設し、第二神殿時代の専門家であり、死海写本研究の有名な考古学者であるハナン・アシェル氏の記念とした。現在このトレイルはアップグレードされ、より長く、古代クムラン遺跡とつながり、訪問者用にトレイルに目印が付けられている。

 「この新しいトレイルは、ユダの荒野の暑い時期に、多大な労力と忍耐によって4日間の集中作業で建設された」と、自然公園局ユダの荒野北部と死海海岸線地域監視員のアサフ氏は語った。「洞窟トレイルをクムラン国立公園に結び付けることは、この地域の監視員になる以前から構想していたアイデアであった。この地域の素晴らしい自然や砂漠を訪問者が楽しみ、自然国立公園の洞窟に残した写本をもたらした、宗教団体の人々のストーリーを聞くために、トレイルを作って印をつけることは非常に重要であると感じていた」と語っている。

 同氏によると、現場で印付けられたトレイルが出来た為に、この地域を安全に合法に散策することが出来るようになったとのこと。「このトレイルは、今後もエッセネ派の人々の素晴らしいストーリーを語り継ぐために、多くの訪問者が来ることを願いながら、今年のハヌカ祭に落成式を行う予定である」と語っている。

 付近にはクムランの遺跡があり、ユダ部族の砂漠の6都市の一つとして聖書には記されている。前世紀半ばに、この場所は遺跡の近くにある洞窟から古代文書が発見されたことにより、世界中で知られることとなった。

 全ては1947年に、この地域を歩いていたベドウィンの羊飼いが、中に隠れているヤギを追い出そうとして洞窟の中に石を投げ込んだことから始まった。その石は陶器に当たって砕き、3つの書物である革製の巻物が彼によって発見され、それらはイザヤ書、ハバクク書注解書と、共同体規定書の巻物であった。

 その噂は瞬く間に広がり、直ぐにベドウィン達が他の巻物を見つける為にこの場所に集まり、光と闇の子の戦いの書物、感謝の詩篇、イザヤ書第二書、創世記の外典などが発見された。

 これらの写本は売買され、色々な人の手に渡り、ヘブライ大学のエリエゼル・スケニック教授のもとにそれが届き、ベツレヘムで幾つか購入することに成功した。他の写本はアメリカに密輸され、7年後にウォルストリート・ジャーナル紙上で競売に出される広告が掲載された。イスラエル国家の為にそれらを購入した一人は、スケニック教授の息子、元参謀長官であったイーガル・ヤディン教授であった。

 写本の発見は、世界中の研究者、歴史家や考古学者達の想像力を掻き立て、ユダの荒野の洞窟探索作戦が直ぐに実施され、最終的にヘブライ語、ギリシャ語とアラム語で記された約900巻が発見された。殆どが破れており、実際にはその研究は現在でも継続されている。

 殆どの巻物は、現在エルサレムのイスラエル博物館の写本間にある。この建物は白いドームと、正面に黒い壁があることで知られたシンボルとなっている。白黒の対称は、写本ん一つである光の子と闇の子の戦いを表している。

 クムランの住人達は、人は生まれた時から光の子と闇の子に分かれており、最初から運命が定められていると信じていた。自分自身の事を光の子と呼び、太陽暦に基づいた暦に沿って活動し、祭日もそれによって決定していた。

 発見された写本には、善の軍隊である光の子と、悪の軍隊である闇の子の最終的決戦に関した週末的予言が記されており、最後には光の子が勝利して世界から悪を根絶する。写本によると、闇の子との闘いは、民族の砂漠から光の子がエルサレムへ戻ってきた時に始まり、その後6年間継続し、その後には北の王達との闘いが29年間継続すると記されている。

 クムランの古代居住地で発見された遺物や発見物など、写本に記されているテキストは、この場所にはエッセネ派の人々が住んでいたことが証明されており、ユダの荒野宗派、又はヤハッド(共同体)の人々とも呼ばれていた。彼らは共同生活を重視した禁欲的な生活を送り、殆どの時間を聖書の勉強、食事や沐浴場での清めなどに費やしていた。

 エッセネ派に関しては、1世紀の第二神殿時代の歴史家達によって言及されており、その中にはアレクサンドリアのフィロ、ヨセフ・ベンマティティヤフや長老プリニウスなどがおり、写本を研究したことにより全てがそうではないが、ヨセフ・ベンマティティヤフが描写と、クムランに住んでいたグループの習慣との相似性が明らかになった。ここには150~200人が住んでおり、西暦68年までの約200年間ここに住み続けていたと考えられている。その後の彼らの消息は、今でもミステリーのままである。

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