約1,100年前のアッバース朝時代の金貨が、ヤブネ市付近の考古学局発掘で発見された。考古学局は正確な発掘場所に関しては伝えず、これも骨董品泥棒から守るためである。この発掘遺跡は、新しい居住区を建設するための一部としてイスラエル国土省によって援助されている。
考古学局発掘責任者のリアット氏とエリー学者は、「陶器の壺に入れて意図的に埋められた宝物で、424枚の金貨が入っていた。初期イスラム時代、アッバース朝のものと考えられている。1,100年前にこれらの金貨を埋めた人は、多分後で掘り返すことを考えていたに違いない。壺はわざわざ杭で動かないように固定されていたからだ。何故これを掘り返すことをしなかったのかは想像に任せるしかない。こんな大量の金貨発見はとても貴重なものだ。金貨は高価なものであり、代々に受け継がれたことから考古学発掘で発見されることはそうそうない。金貨は空気で参加することがなく、昨日埋められたような最高の状態で発見された。今回の発見は、周辺の居住区と遠方の国との間に国際的な貿易がなされていたことの証拠となる」と語った。
考古学局硬貨専門家のローベルト学者は、「アッバース朝時代の金貨がイスラエル国内の発掘で発見されるのは最も稀である。同時代(9世紀末)で知られている最も古い金貨の一つでもある。金貨は24カラットの金で製造されている。総重量は845グラムあり、当時では相当な価値があったに違いない」と説明した。
「例としてこの金貨の価値で、当時のエジプトの首都であったポスタットの高級住宅街で家を買うことができた。当時この地域はアッバース朝の支配下にあり、東はペルシャから西は北アフリカまで及んでいて、首都はイラクのバグダッドであった。今回の宝物は完全なディナール金貨と、小銭用として小さい破片に切られた約270枚の金貨を含んでいる。9世紀半ば以降のイスラム諸国では、銅と青銅の硬貨が突然消滅し、金貨や銀貨を切って使用していたことが分かっている」とも付け加えた。
発見された金貨の1枚は、国内では新発見でもある最も希少な硬貨であった。ビザンチン帝国の首都であったコンスタンティノープルで鋳造されたもので、テオフィロス皇帝(西暦829~842年)の顔が刻印された金貨の破片だ。イスラム国の硬貨にビザンチン帝国の金貨が混ざっているということは、お互いに戦い遭った両国で継続された関係が持たれていたことを証明するものである。「この希少な金貨の発見は、今後の研究に大きく寄与するものである。この時代の発見物がイスラエルでは少ないからだ。今回の宝物を調査することにより、イスラエルの歴史で余り知られていないこの時代が明らかになることを願っている」とローベルト学者は語った。