ヤヌシュ・コルチャック孤児の最後の一人が98歳で逝去

 生き残ったヤヌシュ・コルチャック先生の孤児最後の一人として、芸術家で彫刻家であったイツハック・バルファー氏が昨夜98歳で逝去した。イツハック氏は、ワルシャワにあったコルチャックとステファニア・ウィルチンスカ(ステファ夫人)の孤児院に7歳から15歳まで暮らしていた。ポーランドがドイツによって占領された後はロシアに逃亡し、その後ロシア軍にも参加していた。

 1949年にイスラエルへ帰還し、孤児院で趣味であった芸術を自分の仕事とした。自分の人生と作品は、コルチャック先生とステファ夫人に捧げ、「子供を愛することを知っていた人」という本を執筆・作画し、イスラエル全国の生徒や青少年に自分の経験談を語った。

 イツハック氏は1923年に6人兄弟の3人目としてワルシャワで生まれ、父親は商人、母親は専業主婦であった。4歳の時に父親が他界し、母親と兄弟と共に祖父の家に引っ越した。ヤヌシュ・コルチャックの孤児院には7歳から14歳までの子供達が受け入れられており、7歳になった時に経済的貧困に耐えきれなかった母親が孤児院に彼を渡した。

 コルチャック先生はイツハック氏と母親と対面し、最終的に孤児院に受け入れることを容認した。イツハック氏は、ワルシャワ市クロチマルナ通り92番にあった孤児院に7年間(1930~1937年)まで暮らしていた。

 その後イツハック氏は学校と孤児院で勉強を続け、孤児院には年齢の違う104人の孤児達と暮らしていた。イツハック氏はその後も母親の家を訪問し、コルチャック先生の右腕であったステファ夫人の応援によって、孤児院で初めて絵画を始める。孤児院での授業期間を終えた後、もう1年間孤児院でボランティア活動する特殊要請を申請し、それが受け入れられた。

 15歳になった時にイツハック氏は孤児院での勉強を終了し、家族の生計を助ける為に家族の元に戻って行った。その2年後1939年に第二次世界大戦が勃発し、ナチス・ドイツ軍がポーランドを占領した。イツハック氏はポーランドから逃亡し、ドイツの占領と闘う為にロシア軍に参加する。友人と二人で一緒にコルチャック先生から今後の祝福を受けに行き、コルチャック先生は二人を祝福した後に小遣いも持たせた。

 1940年4月に二人の少年は逃亡を開始し、まだ17歳であったがロシアに向かっていった。イツハック氏はマルキニ付近でロシア側に越境することに成功し、逃亡者達は全員難民キャンプに集められた。

 その数週間後には何もない難民としてロシア全土を転々とし、1941年初期までオーラル山脈の鉱山で石炭採掘に従事していた。その後タシュケントに渡り、ロシア軍に参加して軍の騎馬隊の大隊に配属される。大隊が解散したのとには工場に移され、戦争終了までそこで務めた。

 1946年に破壊されたワルシャワに戻った時に、彼の家族は全員殺害されたことを知り、孤児院に着いた時にはこんなに彼が愛した場所も災難を受けたことを自分の目で確かめ、1940年にコルチャック先生と孤児達はゲットへ連れて行かれ、2年後に先生と孤児達はウムシュラグプラッツ再教育キャンプへ連行され、最後にトラベリンカ死の収容所で全員殺害された。

 「とても悲しかった。コルチャック先生を尋ねに行き、庭に入った時にそこで遊んでいるポーランド人の子供達を見た。とても悲しく失望感に包まれた」とイツハック氏は以前語っている。「ワルシャワのユダヤ人寄付金によって建設された孤児院は、ユダヤ人設計士とコルチャック先生の協力の元に、ユダヤ人の子供達の為のコーシェルの家として利用できるように計画されたが、その後平和に遊んでいるポーランド人の子供達の家と変わり、戦争で起きた惨劇に関して知っていたとは思えない」とも語っている。

 その後イツハック氏は、「アフ・アル・ピ・ケン」(今日ハイファ入口に展示されいている舟で、難民博物館として利用されている)の帰還船で航行する予定であった難民のグループと合流し、1947年にイスラエルの海岸線に向かって出航した。海岸線近くでイギリス軍によって船は阻止され、搭乗者達はキプロス島の収容キャンプへ連行された。イツハック氏はキプロスのキャンプで2年間(1947年から1948年)滞在し、スケッチの芸術を学び、彫刻家であったゼエブ・ベン・ツビ氏から彫刻を学んだ。イツハック氏は収容キャンプで芸術家として仕事もしていた。

 1948年に収容キャンプから解放され、イツハック氏はイスラエルへ帰還してイスラエル軍に入隊する。彼は兵士として2年間従軍し、55歳まで予備役に勤めていた。1961年の39歳の時にローザを妻として迎え、1年後に一人っ子の息子が生まれた。

 42歳の時にアブニ絵画彫刻研究所で学術研究を習得し、その後2年間芸術に関して学び続け、絵画彫刻協会の一員として受け入れられた。テルアビブ市でイツハック氏は幾つかの役割を担い、最後の地位は芸術顧問でもあった。

 1976年にイツハック氏はテルアビブの国民大学に教員として参加し、絵画と彫刻の講師として活動し、2007年まで勤めた。60歳で定年退職し、その後は芸術と芸術、教育とヤヌシュ・コルチャック先生の歩んだ道である孤児院の伝統を組み入れたボランティアの記念碑作成活動に全てを捧げ、ホロコーストでユダヤ民族を襲った悲劇の生き証人としても活動した。長年彼は白黒だけで絵を描き、自分の特殊なテクニックを開発した。

 イツハック氏の沢山ある芸術作品の中で最も有名なのは、ドイツのギンズバーグにある「ヤヌシュ・コルチャック先生と子供達」の記念碑だ。「最初はドイツとは全く関係したくなかった。しかし20年前にヤヌシュ・コルチャックのドイツ協会会長から依頼され、この記念碑を作成することを説得してくれた」と以前語っている。

 コルチャック先生の孤児院に関しては、「あまりにも居心地が良かったので、孤児院の事を家と呼んでいた。家には107人の友達、56人の女の子と51人の男の子がおり、共同生活は多彩で多様であった。学校ではエリートのように振舞い、マナーや行動は他の子供達とは全く違う良いもので、とても幸せであった。コルチャック先生は我々と遊び、発表される前の自分の本を読み聞かせてくれた。家の雰囲気は、大人と子供達の間での平等と話合いであった。毎日の整理整頓の責任を任された独自の子供議会があって、家の中の規律は全員の為でもあった。教育者達も共に食べ、寝て、仕事をしていた」と語っている。

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