オーストリアの男性が、約2百万ユーロに相当する多大な総額を、第二次世界大戦中に彼と彼の家族を匿ってくれたフランスの村民にお礼として遺言で残した。フランスの南東にあるラ・シャンボン・スール・リニヨン村には、数千人のユダヤ人を匿ったり、追放された人達を守ってきた長い歴史がある。
アリック・シュワムという男性が先月90歳で逝去した。ショワム氏が遺言で村の為に多大な総額を残したと市長のジャン・ミッシェルは総額には触れずに語ったが、前市町が現地メディアに対して約2百万ユーロに相当すると話した。
同村の文化メディア分野の責任者であるデニス・ワレットは、この寄付に関して話し合う為に、代理人が3週間前に町と連絡を取ったとのこと。「寄付した人はとても秘密主義で、この行為に関しても世間に発表したくなかった。寄付者に関しての情報は少ないが、少し彼に関して調査してみた」と語った。
その調査によると、ショワムの家族は元はウィーンからで、彼の父親は医師として働いていた。ショワムは両親と祖母と共に1943年にこの町に辿り着いた。ナチから逃れていたこの家族がどうやってこの村に到着したのかは知られていないが、まずその前に彼らは1942年に閉鎖されるまで強制収容所として使用されていた、フランス南部の軍事施設であるリブザルトで収容されていた。
当時の書類によると、ショワムの両親は大戦後にオーストリアに戻ったが、彼は1950年に薬剤師になるためにリヨンに移った。そこで将来彼の妻になる人と知り合い、そこで二人は住んだ。現地の報告によると、二人には子供がおらず、12月25日に彼が他界するまで寡であった。市長はAFPに対し、今回の寄付金は教育奨励金や青少年プロジェクトに利用されると伝えている。
ラ・シャンボン・スール・リニヨンには2,500人の住民がいるが、難民の避難場所としての長い歴史があり、17世紀に宗教的迫害から逃れたフランス人プロテスタントがこの場所を建設した。第二次世界大戦中は、アンドラ・トゥロクマ牧師と妻マゲダの指導により、村民は自分達を危険に晒しながらもドイツ人が死のキャンプへ送ろうとしたユダヤ人達を匿った。一部の村民もゲシュタボに逮捕されている。
約3千人から5千人のユダヤ人達が勇敢な村民によって助けられたと考えられている。牧師と妻を含めた30人の村民が、ヤッドバシェム(ホロコースト記憶館)によって、諸国民の義人として承認されている。