ベエルシェバで10シケルで買ったスタンプが3千年前のものであった

 約40年前にベエルシェバのベドウィン市場を訪れていたベングリオン大学のイーガル教授は、四つ足で立って吠えている姿のライオンが刻印された楕円形の素材を発見した。特殊なものを発見したと理解した教授は、板場の売り手に出所を質問しようとしたが、どこから来たのか全く知らないとのことであった。最後に値段交渉し、売り手は10シケルで教授に売ることを同意した。

 イーガル教授は、スタンプの背面に吠えるライオンの図があり、その下に「レシュマア」と書いてあるのを確認し、メギドで発見された有名なスタンプ「シュマア・エベッド・ヤラベアム」にも同じ言葉が書かれているのを思い出した。メギドのスタンプは1904年に発見され世界中の関心を引き、それまでに発見されたヘブライ文字スタンプの中で最も大きくて壮麗なスタンプであると考えられている。イスラエル博物館によると、約120年前に発見されたこのスタンプは、紀元前8世紀半ば頃のものであるとされている。

 このスタンプが一般の市場で格安で販売されていたという事実が、本物ではないという疑いを起こしたが、イーガル教授はスタンプ専門家にその信ぴょう性を確認してもらった。ベングリオン大学考古学と古代東方学科創設者兼責任者であるユーバル教授と、その他の大学研究者達と共に研究した結果、このスタンプはカンラン石を含む玄武岩付近の石灰岩がある場所から採取された土壌で作成されており、下部ガリラヤやエズレル平原とベテシャンの地域に該当していることが判明した。

 その他にまた、このスタンプは素材が比較的に乾燥した状態でリネンクロスに貼り付けられ、約750度の温度で取り付けられていることが判明した。スタンプは楕円形で、サイズは23.4㎜×19.3㎜となっている。スタンプ面積は約20平方ミリメートル、厚みは刻印部分が4㎜、周辺が6㎜となっている。スタンプは主に刻印側と端、背面と主に凹面に白灰色のパティーナの層が覆っている。これはスタンプが製造された後の時間経過で累積する物質である。

 これらの全てのデータと他の追加データを総合した結果、このスタンプは本物でオリジナルであることが間違いなく明らかになった。ベングリオン大学では、「このスタンプ発見の重要性はとても大きく三つの意味がある。一つは「レシェマア」スタンプがヘブライ王朝スタンプの中で最も古代のスタンプであり、このスタンプはイスラエルでは㏍年された歴史的スタンプで最古のものである。研究史上初めて様々なサイズで製造されたロイヤル・スタンプの信ぴょう性が高い証拠が明らかになった」と伝えている。また研究者達は、イスラエルの鉄器時代からの最初で唯一の考古学発見物であると述べている。

 メギドで発見されたスタンプは、今回のスタンプより2倍近いサイズであり、今回のスタンプに刻印されたものは、イスラエル王朝の高官が使用していた同じシリーズのスタンプのミニチュア版であったと想定されている。スタンプには「シュマア・エベッド・ヤラベアム」と刻印されており、メギドの刻印の模様とは似ていないことから、「シュマア・エベッド・ヤラベアム」には様々なタイプのスタンプがあったとされている。彼のスタンプは個人的なものではなく、イスラエル王朝の二代目王であったヤラベアム王朝政権の高官の公式スタンプであった。これらのスタンプを高官自身や彼の部下達が、文書や贈り物の封印として使用していた。

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