ヘロデ大王の錨、死海の歴史的記憶

 世界で最も低い場所である死海(現在は海面下435m)は、砂漠と地中海気候地域の間に広がる広大な土地からの水や堆積物を受け入れる場所であり、レバント地方の「雨量計」として使用されている。死海の水位は昔から低かったのか、死海の周りは特に乾燥していたのか、又は現在の異常気象や人的影響が1950年代から始まった水位の急低下を起こしたのか(当時の水位は海面下400mであった)?

 最近アメリカの地球物理学学会Geophysical Research Letters誌に掲載された、ヘブライ大学地球学研究所とイスラエル地質学研究所の博士課程学生であるヌーリット氏の新しい科学論文によると、過去7千年間の殆どの期間(完新世の殆どの時代、約1万1,700年前から始まり現在まで継続している地質学的時代)では、死海の水位は海面下420~430mであったことを示しており、死海は北部側のみを覆っていて、イスラエルの地域(及びレバント南部)では、乾燥した暑い気候が特徴であった。死海の水位が低かった時期には、西海岸に沿って崖の泉からエンゲディまで温泉が豊富にあり、泉の付近には独特の石膏体が形成されている。

 ヌーリット氏によるケデムの泉ビーチ(エンゲディの北)での石膏体の研究は、特に興味深い考古学的発見に続いて殆ど偶然に開始した。2003年12月にキブツ・エンゲディの考古学者であるギデオン学者が、ヘブライ大学のモティ教授に連絡をし、ケデムの泉ビーチに来るように依頼した。そこで死海のビーチから数十メートル上を通っているパトロール専用道路の下の露出した岩(当時の水位は海面下419m)に、堆積層の中に大きな岩の塊のようなものが突き刺さっており、近くから見た最初の印象としては、木の幹を包んでいる石膏の厚い膜で作られた細長いタマネギのように見えた。モティ教授が当時の状況を語った、「石膏の膜の塊の周りを掘り始め、海岸線の堆積層からその物体を取り出した。多大な努力と、ロープと滑車でそれをパトロール専用道路まで持ち上げ、そこから車に乗せてキブツ・エンゲディまで運んだ。ギデオンは、船の大きな錨が石膏の塊の中にあると興奮しながら言った」。

 確かに船の大きな錨が石膏の皮に覆われ、木製で、内部には崩れた鉛の塊があった。その後ヘロデ大王時代の船であったことが明らかになった。放射性炭素検査法(炭素14)により、錨の材料であった木材とその上部に残っていたローブが、ヘロデ大王時代のものであると決定した。

 ケデムの泉ビーチに湧き出ている温泉に到着しようとしたヘロデ大王の部下達が、海岸の岩に錨を突き刺してしまったようだ。ギデオン学者とモティ教授は、錨の様々な側面を調査し、例えば錨の重し部分で発見された物質の鉛の同位体を調べ、鉛の塊はイタリアの鉱山から来たものであると判断した。ヌーリット氏にとってこの発見は、死海の研究にケデムの泉の地域の重要性が明らかにされ、特に死海の塩化の進展研究にとって重要なものであった。

 錨が発見されてから17年が経過し、死海の水位が25m低下して海岸線が退いた為に、ヌーリット氏に興味ある特殊な石膏体の発見をもたらした。錨はイスラエル博物館に寄付され、ローマ時代の考古学展示物として紹介されている。

 ヌーリット氏は自身の博士号論文で、ケデムの泉の石膏体の年代決定を描写し、更に「石膏のデルタ」と彼女によって呼ばれている、川の扇状に似た堆積構造も復元した。同時に海岸線に沿って散乱していた個々の濃縮石膏構造物も調査された。ヌーリット氏は、死海の水位が低い時期に、石膏のデルタと個々の石膏体が形成されたことを示した。現在のケデムの泉と相似した構成物質の温泉水が死海の水と混ざり、混合の結果石膏が沈殿した。

 放射性炭素検査を用いた石膏体の年代測定は、特殊な石膏体形成年齢とケデムの泉の種類である塩水温泉の活動と死海の低い水位が、太陽光線が最低限であった時期に適応することを示している。例えば「中世の温暖期」(Medieval Warm Period)と呼ばれた時代に起きたオールト太陽極少期イベント(約1000年頃のOort Solar Minima)。この時期のレバント地方では、乾燥化と砂漠化が起こり、死海の水位も最も低い位置まで落ちた。

 「もし自然条件が、この地域を近い将来に完新世の時代の殆どの特徴であった乾燥化と砂漠化を起こさせるならば、地球温暖化と並行して予想される乾燥化現象がより強化されるであろう」と説明している。

 ヌーリット氏の研究では、死海の水位は完新世時代に段階的に低くなり、地域雨量が増加したことから、ある特定の時代以外(例えば青銅器時代後期とローマ・ビザンチン時代は、水位が特に高く海面下380~390mであった)である。水位低下の今日の現実は、人間の活動への反応を表しており、主にヨルダン川への水門建設やその他の支流への人工的建築である。つまり現在の水位の低下は、過去数千年間で起きたものとは全く無関係のものである。大きな視点で見れば、完新世時代の殆どは死海の水位は低く、レバント地方全体と死海地域の継続する極端な地域的乾燥化を示していると説明した。

 更に研究者によると、子供の頃に旅行した死海や学校の世界地図の死海での「歴史的記憶」では、死海南部のネオット・ハキーカルから、死海北部のキブツ・カリアまで「一つの海」であった。「一つの海」は、18世紀、19世紀と20世紀初頭に水位が海面下400m以上上昇した、比較的短い期間に関連しており、これはこの地域の特に乾燥期であった、完新世の殆どの時代に於ける死海の典型的な自然状態を描写していない。地球温暖化モデルによると、近い将来に東地中海地域は多大な乾燥化を起こすと予想されており、水位の変化は地域住民の深刻な水不足を伴うであろう。その為に更なる研究により、過去数千年間に渡って死海で起きた乾燥化と砂漠化のプロセスを調査し続けることが期待されている。

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