ヘロディオン要塞の謎:王専用通路と壁画が発掘される

 ヘロディオン要塞の考古学者達と保存専門家達は意気揚々としている。この長い封鎖が解除されれば、ユダの荒野にある国立公園が再開され、訪問者は初めて公開される特殊な二箇所の発掘場所を見ることが出来る。一つは野外劇場の王専用広間で、そこには素晴らしい壁画が残されており、二つ目は要塞の頂上にあった王宮につながる王専用通路である。

 この二つのプロジェクトは、ヘロデ大王(紀元前74〜4年)が率先した偉大な建築物のハイライトと考えられている、複雑なパズルを組み立てる上での更なるレイヤーである。保存プロセスと新しい展示方法は、古代にこの土地にいた偉大な建設者のことを学べるようになっており、普段ヘロディオン要塞を訪問しない多くの市民をこの場所に引き付けることになると見られている。

 火山のような不思議な形状をしており、ヘロデ大王はここに埋葬されることを遺言に残し、イスラエル国内や中東全体で見てもとても魅力のある遺跡の一つである。ヘロディオン要塞は前世紀半ばから調査され、建築家・考古学者であったエフード・ネツェル氏が推進した。ネツェル氏はプロとしての生涯を通じ、ヘロデ大王は当時のイスラエルの民には好かれていなかったが、安定して国民とも繋がっおり、エルサレムの荘厳な第二神殿、マサダ、カイザリアやヘブロンのマクペラの洞窟のように、統治した33年間に野心的な建築プロジェクトを率先することに誰よりも際立っていたヘロデ大王の建築物を研究した。

 ネツェル氏自身もマサダでイーガル・ヤディン氏の発掘隊に建築家として参加し、人生をかけて研究したヘロディオン要塞で亡くなった。野外劇場で転倒して死亡したのである。

 紀元前15年にここで起きた一回限りの短いイベントは、最近一般公開される予定の二箇所の発掘場所と関連付けられている。それはローマのパンテオンを計画し(世界で最も観光される場所となった)、ローマ帝国の最高司令官の一人でありローマ皇帝の副官でもあったマルコス・アグリッパの訪問であった。ヘロデ大王はグリッパの訪問中にカイザリアの町を開港し、その後二人はヘロディオン要塞で公式訪問を続けた。要塞の麓にある野外劇場の最上階で、誇り高い大王は王専用広間に足を運び、最高のおもてなしで高官を驚かせた。

 広間は壁画で飾られ、周辺の空間や水の詳細な景色やエジプトのファラオ王国にアグリッパが敗北をもたらせたアクティウムの戦いのシーンも描かれていた。そこから二人は通路へ向かい、山頂にあった宮殿へと上って行った。通路は広く屋根が付いており、上り切った場所には宮殿の荘厳な玄関口があった。

 アグリッパが去って直ぐ、ヘロデ大王は躊躇なくそれら全ての建物の解体を命令し、ヘロディオンを要塞と避暑地から王の埋葬地へと転換させた。労働者達は荘厳な広間と階段の解体作業を急いで行い、近くのワジから運んだ土砂でそれらを覆い、山のモニュメント的な外観を強調させた。解体は完全ではなかったが、土砂に覆われたことによって2千年間遺跡が保存されることになった。ヘロディオン要塞の発掘が開始して以来、保存専門家達は土砂を取り除き、復元することなく保存作業だけに取り組み、その結果は心打つものである。

 約350人の観客を収容するために、紀元前23年頃に建築されたこの親密な野外劇場だけでは、ヘロデ大王建築の壮大な規模は表現されない。この劇場は大勢のイベント用ではなく、それもヘロディオン要塞は町としてではなく、ユダの荒野の孤立した場所として建設された。そこからも理解できるように、ヘロディオン要塞はヘロデ個人のプロジェクトであり、多分その設計の詳細にも自分で関与していたと理解できる。これがヘロデ大王が計画して建設した他の建築物と比較し、ヘロディオン要塞が特殊な場所として特徴づけるものとなっている。

 ヘロデ大王は、おそらく彼のパトロンであったアグリッパを称えるために、野外劇場に接客施設も建設した。考古学者達は、エルサレムの中心に立てた宮殿よりもっと荘厳で壮大な宮殿を野外劇場の麓に建設したと想定しているが、未だ発掘調査はされていない。王専用広間は野外劇場のど真ん中に建設され、二部屋のサービスルームと全て壁画で飾られたセンターホールを含む一種のスイート部屋として建設された。

 「時間の問題があったようで早く作業を終わらせる必要があり、とても短い期間で全てを描いたようだ」と、既に10年近く壁画を調査している考古学局の保存上位専門家のマーク氏は語った。現在までに発見された物から、まず第一段階で広間はフレスコ画(湿った漆喰に描く)で飾られた。アグリッパの訪問前にこの広間は拡大され、壁は漆喰の薄い層で覆われて新しい壁画が描かれ、スコ(乾いた漆喰に描く)と呼ばれる壁画が使用された。ルネッサンス時代にミラノの教会の壁を飾った「最後の晩餐」をレオナルドダヴィンチが描いた時に使用した技術に相似している。

 壁画の下部には赤色大理石に似させた壁が作られ、上部には花の装飾が施された大理石の柱に似させたピラスターレリーフがある。ハイライトは広い窓口を描いた絵画で、そこからカラフルな景色が見えるようになっている。それらの景色の中には狼や鹿などの動物の存在が目立っており、偶像を造ってはならないという聖書の律法を守るために人の絵は描かれていない。

 広間の各面にこれらの三つの絵が描かれていたが、現在は二つしか残っていない。これらの壁画はアグリッパの戦勝記念に関係した景色が描写され、その中で中心的で感銘的であったのがローマ軍がエジプト軍を敗退させることに成功したアクティウムの戦いであった。その壁画は現在エルサレムのイスラエル博物館に展示してある。広間の建物で考古学者達は多くの芸術作品を発見し、この建物は二階建てで全て壁画で飾られていたと想定している。

 ヘロデ大王の労働者達がヘロディオン要塞を埋葬地と変更している時に、一部の労働者は王専用広間に入った。彼らがいた証拠は、ホーマーの言葉引用、ヘブライ語のアルファベット、船の絵やゲームなど、壁に自分の事や日常の生活を彫り込んだことで残っている。その中には古代ヘブライ語で書かれたものがあり、(アバという名の)彫った人物が「王の治世23年目」と日付を書いた事から、広間解体の正確な期日を決定することに成功した。

 2千年間経って広間は瓦礫に埋まって忘れ去られ、2007年に考古学者によって発見され、それ以来厳格な発掘と保存過程を経ている。壁画はヒビ、シミ、カビや塩分と共に発見され、複雑で厳格な過程で過去10年間に全て取り去られ、オリジナルの美しさを取り戻している。「壁画のレベルは帝国レベルだ」とマーク氏は語った。「これらの壁画は地方で描かれておらず、こんなレベルの景色やレリーフの描写もない。幸いであったのはこれらの壁画は土砂に埋もれており、色彩の品質は保存されていた。保存状態は最もよく、モニュメントとして残っている」とも語っている。

 この広間での訪問体験を豊富にするために取り外されていた天上も再建し、エアーコンディションとマルチメディアが組み込まれ、電動カーテン付きのガラススクリーンで元の位置にあるオリジナルの柱を含めた景色と野外劇場が展望できるようになっている。ニッサン・スタジオ社が壁に映し出される興味深いマルチメディアを作成し、20分間の動画(ヘブライ語と英語のみ)で訪問者を魅了させながら遺跡の説明が聞けるようになっている。動画に出てくる要塞の復元は、ドローンで要塞をレーザースキャンする方法で作成された。

 動画の主要部分は王専用広間に焦点を当てており、ヘロデ大王がローマ皇帝副官を迎えた日の広間であったように、広間の荘厳さの全てが完全に復元されたシミュレーションが行われている。「今回の再生プロジェクトは現場で行われているため、製造できる限り最も歴史的事実に忠実で正確である飾りにすることが重要であった」とニッサン氏は語った。

 訪問コースの次の場所はヘロデ大王埋葬記念碑の遺跡で、そこから山頂の宮殿につながっている王専用通路に至る。この通路をヘロデ大王とアグリッパは歩き、現地の環境に正確に適合されて作られている。通路は比較的涼しい風が吹く要塞の影側に造られたために、ユダの荒野の真夏日の今日でも涼しい場所となっている。

 紀元前25年頃にヘロデ大王が建設したこの入口構造は、高さ16m、幅6m(発掘されたのは3mのみ)の通路が含まれており、数十メートルの長さで屋根が付いている。入口にアーチ型天井が着いている三層の五つの石アーチ(現在も残っている)が天井を支え、その最上層には山頂宮殿の玄関口が設けられていた。

 王専用広間に行ったように、この王専用通路もヘロデ大王は土砂で埋め、ヘロディオン要塞を霊廟に変えることを決定した。階段は解体されて土砂、石、建設廃棄物などによって覆われ、それによって通路もその後の時代まで保存されることになった。労働者達が通路を覆った土砂を近くから見てみると、2千年前に埋められた木の枝などが今日まで残っているのが分かる。現存していない古代の階段の代わりに、今日訪問者用に新しい階段が作られている。

 次の企画は王専用広間へのバリアフリー、イスラエル博物館の倉庫に眠っている遺物を組み合わせた埋葬記念碑の開発と、発掘に向けた要塞麓(巨大貯水池や宮殿など)の柵作りである。その後円形監視塔の保存と開発が計画されており、エルサレムが良く展望できるヘロディオン要塞のメインパートでもある。。基礎しか残っていないこの監視塔は、オリジナルでは40mの高さであったが、現在では16mしか残っていない。国立公園はこの監視塔の上にエルサレム、死海、モアブ山やヘロデ大王の故郷であるエドム山が展望できるテラスを建設する計画がある。

 ヘロディオン要塞は中東でも魅力的で歴史的な遺跡であるが、西岸地区にある他の国立公園の有名な遺跡リストに入るほどの訪問者数ではない。その理由は西岸地区にある要塞の位置、付近に訪問者がついでに行ける他の遺跡がないこと、またエルサレムの入口から車で45分もかかることなどと見られている。付近には興味深い修道院や教会、例を挙げるとベツレヘムの聖誕教会などがあるが、そこはPLOの管理下にあってイスラエル人の立ち入りは禁止となっている。

 研究者達はヘロディオン要塞を謎と見ており、今でも一部は土の中に隠れている。「今でも発掘されたのは全体の25%のみで、もっと深い発掘ができる可能性が残っている」と国立公園現場責任者のシュロミ氏は語った。「どの部屋に入ってもその時に数十個の入口や通路があり、まだ未発掘のままである」と説明している。

 ヘロディオン要塞建設には数万人の労働者、建設者や設計士が汗をかき、ヘロデ大王の命令に従っていた。人工的に山を盛り上げた第一段階は3~4年かかり、ローマ時代には円形の要塞というのは特殊な形状であった。その後山頂に要塞が建設され、その麓には夏の宮殿、プールや庭園を含んだ壮大な複合施設が建設された。シュロミ氏によると、イスラエル国内にある他の大規模な遺跡とは異なり、優れた保存状態のお陰でヘロディオン要塞では、建物を復元せずに発見されたままの形で保存することに注意が払われたと強調している。

 全ての建物は砂漠気候に適応している。山頂の宮殿は二重になった円形の壁に囲まれ、外側の壁には北西の方向に窓が作られて涼しい風が吹き込むようになっていた。吹き込む風は二重の壁の空間を通り、宮殿の奥や組み込まれた庭園の窓まで流れ込んでいくようになっていた。イスラエル国内で暑い地域に建設された宮殿は、この方法によって夏の宮殿として使用されていた。今日二重壁空間の一部の開発・保存に力が注がれており、将来一般公開されることを目的としている。

 「古代の人達は自然と戦わずに一緒に住んでいた」と保存上位専門家のアッシー考古学者は語った。「その為に2千年間も残っていた。今日自然に反したガラスのタワーを建てているが、この要塞の建物は人間の環境に優しい建設となっている。ここには正しい建設とエンジニアリングの模範があり、人間が生活するには厳しい環境でも生き残って繁栄することが出来ることを教えてくれる」とも語った。

 アッシー氏によると、建設者達の間で代々伝えられてきた知識があり、厳しい自然と向き合い、宮殿の建設と運営に適合させることを知っていたとのこと。「ここにはもっと驚くべき事実が見つかるに違いない」とも語っている。

 「過去は発掘で見つかったものだけで調査できるものではなく、歴史的人物を理解することも要求されている。それによって野心や成果を理解することが出来る。ヘロデ大王が建設した遺跡、カイザリアにある港、宮殿、戦車競技場、エルサレム、マサダやヘロディオン要塞などをよく見ると、全ての建設に失敗がなかったことが分かる。我々が疑問に思うのは、何故彼はここに宮殿を建設したのか?ヘロディオン要塞の位置の重要性とは何か?何故ここに多大な努力を注いだのか?などであり、我々が見つけていないヘロデ大王の深いメッセージがまだまだあると思う」と付け加えている。

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