フローズンヨーグルト店が、13年間の営業に幕を閉じる

 テルアビブのベン・ユダ通りにフローズンヨーグルト屋さんが開店してから13年経った。ベン・ユダ通りとゴールドン通りの交差点にあるこのお店は、この周辺の景色の一部と化していたが、コロナと予定されているトラム建設工事の影響で街中を行く歩行者が激減した為に、今月末に閉店することとなった。

 ベン・ユダ通りでは高級感があるこの地域は、普段ならば観光客で溢れかえっており、海岸に近いことから歩行者も多い。コロナ禍が始まって以来、道行く人の数は最低限となり、観光客はいなくなって地域の他の店の殆ども閉店し、新規再開した店は無かった。

 「今年は一人も観光客が来なかった」とオーナーであるコビー氏は語った。「コロナ以前と以降の人通りの違いは明確だ。コロナ前には3月からシーズンが始まり、9月のお祭りくらいで終わっていた。今年は全く違うストーリーであると理解し、従業員を減らして準備はしていたが、閉鎖する決心をしたきっかけはベン・ユダ通りで始まるトラム工事だ。店の目の前に駅が建設されるが、ここに残れば最低4年間の工事現場で店を運営しなければならない。近日人通りが多くなることは予想されないし、多分来年の3~4月くらいにしか戻ってこないとみている」。

 「ここは靴屋みたいではなく、新鮮なフルーツを取り扱っている。売れなかった物は廃棄しないといけない、全て新鮮な商品だからだ。こんな店を運営するのは容易ではないし、週末には店の前に行列が出来るくらいであったが、平日にも多くの客が出入りする。コロナ禍でどう対応すればいいか考えて商品発送なども行っていた。今後の変化に自分達をどのように適応させるか決定する必要があり、トラム工事が閉店する引き金となった。この通りで閉店した店舗は空のままであり、新規再開する人が全くおらず、この店が最後の店となっているのが現状だ」と語った。

 「ビジネス観点から見て、このお店は長年我々に実を与えてくれ、生計を立てて楽しみ、他の開設したビジネスの手助けにもなった。この時期ではお店を開店することだけが正解とは見ておらず、他の方法もあると思っている。近々自然食材だけで製造する工場を開設する予定で、それ以外のものは全く使用しない。これも我々が興味を持っている分野の一つだ。コロナ後の計画では、ロスチャイルド通りにあるお店は24時間営業となるが、勿論コロナの影響が過ぎてからの話だ」と述べた。

 タマラ・ジュース店舗は、テルアビブのシェンキン通りに1993年に設立された小さなジュース屋さんから始まった。その10年後にジュース屋さんがベングリオン通りにも開設され、フローズンヨーグルト屋さんがベン・ユダ通りとロスチャイルド通りにオープンし、ナチュラル・フルーツのアイスキャンディーなども販売された。

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