他の祭日のように労働の禁止以外に、過越し祭の第七日目には聖会の義務がある。良い日の食事、祭日の祈祷、追加ハレルを唱え、聖書朗読としめくくりがある。今年は祭日が安息日に開始する為に、安息日の律法が有効となる(火の移行は禁止、又は命の食事に必要な祭日に許可されている労働も禁止)。
出エジプトから第七日目に、イスラエルの民は紅海を渡った。その為に過越し祭の第七日目の夜に、殆どの人が「海の歌」を実行する。聖書と詩の朗読でシナゴーグに集まり、主に海の歌を一緒に唱える。海岸に近い居住地では、海岸まで出て海の歌を唱えるのが習慣となっている。
安息日と祭日明けにパン種を食べることが許され、パン種の売却の有効期限も無効となる。モロッコ系ユダヤ人の会衆では、今年は安息日明けにミムーナをお祝いし、元々はモロッコ系ユダヤ人の伝統の民族祭である。イスラエルでは、通常ニッサンの月の第二十二日目(過越し祭の第七日目はニッサンの月の第二十一日目)にお祝いし、海外ではニッサンの月の第二十三日目、何故なら海外では祭日を二日間お祝いする習慣となっている(海外の全祭日の二日目は、離散の第二良い日)。
この祭りに関する説明は幾つかあり、信者という言葉から来ていると言われており、その意味とはニッサンの月にイスラエルの民はエジプトから救われた為、又将来ニッサンの月に救われる為、完全な救いが未だ到来していない為に、この祭日では救いへの信仰を粟原している。
他の説明では、聖会の日にモロッコで生まれて活動していたマイモニデスの父親であったラビ・マイモンが亡くなった日であるとのこと。もう一つの聖会に関する説明では、今日のように聖会をお祝いするようになったのは(人を招待してパン種のお菓子を食べる)、パン種やそれらが入った物を食べないように防ぐことに関連した週間の違いから、過越し祭で特に注意して他人の家で食べないことが通常であった。その為に過越し祭が終了して直ぐにお互いに招待し合い、過越し祭で招待しなかったのは憎しみではなく律法の厳守であり、今は共にお互いの食べ物を食べ合っているということを見せるためである。