西暦400年頃と想定されているビザンチン時代の教会が、ヘルモン山の麓にある自然国立公園のバニアスの泉で発見された。教会はハイファ大学考古学研究所のアディ教授とロン氏が行っている考古学発掘の枠内で発見された。
遺跡ではモザイクの床が見つかり、十字架やその他のキリスト教のシンボルが描かれており、教会であると研究者達は推定した。また遺跡には大きな切り石も発見されており、巡礼にやってきたキリスト教徒達が彫っていった十字架などのシンボルが描かれている。考古学者達が現場を調査したところ、同じ場所にローマ時代には、パンの神を祀る為の屋外神殿が建っていたことも分かっている。遺跡にはアルゴーブ、祭壇や飾られた遺物がある。建物の中央には小さいプールもあった。
研究者達の推定によると、教会建設には異教建築が使用され、4世紀にイスラエルでキリスト教が公式宗教と決定された為である。モザイクの床や建物の壁にある特殊な傾斜や窪みは、地域を襲った地震によって教会に被害が及び、半分が沈んでしまったと研究者達は想定している。教会はその後7世紀にキリスト教徒達によって再建され、巡礼場所と変容していった。これも発掘現場で発見された十字架のシンボルが付いている大きな切り石から想定されている。
アディ教授は、「パンの神の神殿と発見された教会が、崖、洞窟、泉と神殿を建設していた崖の一部が古代に崩れて出来たテラスを組み合わせた地理的環境に位置している。紀元前3世紀のヘレニズム時代に、洞窟と泉の近くでパンの神への信仰が始まった。そこから古代の町の名前がパニアスと名付けられ、その後バニアスへと変わっていった。ヘロデ大王は紀元前1世紀末にオーグストス皇帝の神殿をここに建てた。息子のピリポは1世紀初頭に町を建設し、そこをピリポ・カイザリアと名付けた。ローマ時代全般でこの町はパンの神とゼウス神への重要な礼拝センターであった。新約聖書によると、このバニアスでペテロがイエスをメシアと認め、イエスは彼に天国の鍵を授けた。ビザンチン時代初期には、バニアスの町は教皇が住む重要なキリスト教の中心地と変わっていき、礼拝もキリスト教のものへと次第に変って行った。この町は7世紀後には衰退し始めたが、ずっと町は存在していた。13世紀のマムルーク王朝時代にも多くの人達が住む居住区でもあった」と語った。
自然国立公園の遺産分野責任者のヨッシー学者は、「この自然保護地区に於ける考古学発掘は、紀元前20年頃に建設されたパンの神の古代神殿の遺跡で行われ、一部は以前の考古学発掘によって発見されていた。現在この発掘は、洞窟の手前に建設されていた神殿を完全に発掘するという目的で行われ、遺跡の保存と訪問者用の現地観光開発の一環としても行われている」と説明した。