ネゲブ砂漠のビザンチン都市の崩壊を示す排泄物

 1,500年前のネゲブ砂漠に於ける、ビザンチン時代農業の謎の一つが解き明かされた。ビザンチン時代のネゲブの住民達は、家畜の排泄物を利用しており、その排泄物を正しく管理することによって農地を緑化させる肥料としていた。イスラム時代に移行すると共にネゲブの諸都市は崩壊し、家畜の排泄物は肥料として利用されなくなり、排泄物が山盛りになった為に焼き払う必要があったほどである。このような調査結果が、考古学局とハイファ大学の共同研究によって明らかになり、PLOS ONE雑誌に発表された。この調査では、ビザンチン時代のネゲブ砂漠に合った諸都市の繁栄と崩壊が明らかになる、顕微鏡的追加証拠も発見された。

 ハルーツァ、シブタ、ニッツァーナとアブダットは、ビザンチン時代4世紀から繁栄したネゲブ砂漠の諸都市の一部であり、緑化された農業に依存して暑くて乾燥したネゲブ砂漠でも栄えていた。しかし7世紀からのイスラム時代へ移行すると共に、これらの都市は崩壊し始め、10世紀には最終的に放棄されて廃墟と化した。ビザンチン時代のネゲブ砂漠集落の崩壊は、長年多くの研究者達を夢中にさせてきた。様々な予想では、崩壊を肯定するビザンチン時代からイスラム時代への支配交代による政治的変化、環境の変化や経済的変化などが挙げられてきた。過去数年間にハイファ大学ジンマン研究所のガイ教授が幾つもの研究を実施して崩壊の過程や原因を辿るなど、研究の基礎は完全に新しい方法であった。居住区の郊外にあった排泄物の山を検査し、全く居住区内の典型的な発掘は行われなかったことである。

 以前の研究では、研究者達は顕微鏡的研究結果に焦点を合わせ、つまり肉眼で見える動物の骨や植物の残骸など、ネゲブ住民の経済的基盤を形成する物であった。植物の残骸は、ワイン製造業を基本としてビザンチン時代にピークに達し、初期イスラム時代に衰退していった農業活動の範囲を証明している。これらやその他の調査結果は、イスラム時代には乏しかった農業に反し、ビザンチン時代には集中的な農業活動が行われていたことを証明している。

 調査員達が発見して驚いたのは、ビザンチン時代と初期イスラム時代のゴミの土を構成する物質に大きな相違があることであった。ビザンチン時代には、主に漆喰や石などの建築材料のゴミ、オープンの灰など日常生活の残り物、動物の骨、陶器の破片などが廃棄された。初期イスラム時代には、主に風化過程を通った家畜の排泄物で構成されており、特徴ある形状は失われて土のように見える。「どうやらビザンチン時代に農地に肥料として使用されていた排泄物でしたが、初期イスラム時代にはこの肥料の需要が段々と減少した為に過剰分をゴミの山に捨てる必要があった」と、研究リーダーの一人であるハイファ大学海洋文明学部と海洋科学部のルツ教授は説明した。

 「時間と共に分解した排泄物の残骸を認識できる研究方法が幾つかあり、羊とヤギの腸の中で微細な球体が形成され、全ての有機物が分解してもそれらは無機物で構成されている為に発掘現場に残存している」とルツ教授は語った。

 また研究者達は、赤外線方法で検査した初期イスラム時代のゴミ収集所で焼いた跡を発見した。「覚えている限りでは、これが初めて古代のゴミ収集所の管理を証明するものである。我々の理解では、初期イスラム時代には大量の排泄物が蓄積し、農地の減少と放牧活動の増加により、排泄物の過剰分を処理する必要が出てきたために焼却方法が使われた。二つの時代で排泄物に対する大きな理解の相違が判明し、農業にとってとても重要な肥料という地位から、ゴミに捨てられて焼かれた無能な邪魔者という地位にまで落ちて行った」とルツ教授は説明した。

 「両者の時代にも存在する資源の計画と管理が行われており、ビザンチン時代の人口は放牧と組み合わせた農業を主に経済的調整の基本としたが、初期イスラム時代の人口は放牧を基本とした経済調整の過程へ移行し、同時期のゴミの山に溜まった排泄物へと変化していった」とガイ教授は語った。

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