スーコット祭は、聖書のお祭りの中で長期間、多彩で喜び多い祭である。
●収穫祭
「あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終わりに、取り入れの祭を行わなければならない」(出エジプト23:16)。「また年の終わりに取り入れの祭を行わなければならない」(出エジプト34:22)。
出エジプト記には、スーコット祭(仮庵の祭)は年の終わりの最後のお祭り、また三大祭りの一つとして記されている。聖書の一年は春のペーサッハ祭(過越し祭)から始まり、収穫の終了を示すスーコット祭で終わる。過去一年間の収穫物への喜びと感謝を表す時期であり、冬への祈り、雨と次の収穫の成功を祈る時期でもある。そこから「収穫祭」とも呼ばれている。
●喜びの祭
「打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。主が選ばれる場所で七日の間、あなたの神、主のために祭りを行わなければならない。あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない」(申命記16:13)。
申命記では喜びの祭をどのようにお祝いするかが記されている。家族全員で必要とされている者達や貧しい者達全員に果物や産物を与えなければならない。エルサレムの神殿参拝に彼らも招待しなければならない。隣人やヘルパーを誘って一緒に旅行する家族もいるが、これはベビーシッターのためではなく、喜びを大きくするためにはどんな方法でもいいと聖書が推薦しているためである。
主が選んだ場所で、喜びと清い心で過ぎた年の終わりをイスラエルの民は祝う。良いことだけを思い出すように専念して集中する。悪い思い出と経験は、新年祭から大贖罪日までの期間の「酷い日々」で許しを乞い、角笛を吹き、懺悔をして祈祷もした。その後はお祭りを楽しむ人生の喜びに集中する時である。
●8日間祭
「あなたがたが、地の産物を集め終わったときは、七月の十五日から七日のあいだ、主の祭を守らなければならない。すなわち、初めの日にも安息をし、八日目にも安息をしなければならない」(レビ記23:39)。
レビ記にはお祭りの内容が詳細に記されている。8日間祝うこと、最初の7日間はスーコット祭で、8日目は最終日(集会)である。最終日は追加された祭日だが、スーコット祭の律法は関係なく、スッカー(仮庵)も四種の神器も必要としない。
第1日目と第8日目が安息日となっている。中日は安息する必要は全く無いために「祭の平日」と呼ばれている。
●四種の神器
「初めの日に、美しい木の実と、なつめやしの枝と、茂った木の枝と、谷のはこやなぎの枝を取って、七日の間あなたがたの神、主の前に楽しまなければならない」(レビ記23:40)。
レビ記にはお祭りの特別な律法も記されており、四種の神器とスッカーであり、スッカーからスーコットという名前がついている。ユダヤ教賢者達による聖書に記されている四種の作物とは:
「果樹の実」-クエン。イスラエルの地で育つ果樹類の中で最も古い種類。
「なつめやしの枝」ーナツメヤシの木の葉で閉じたままのもの。まとまって閉まっている状態で手のひらのように開いていないもの。
「太い木の枝」ーミルトスの木は茂っている灌木で多くの葉で覆われている。
「川のやなぎ」ー川の近くで成長する柳。
これらの四種の神器は、イスラエルの暑い夏と熱風の後でも豊作性と緑化が強く、これらは活力、豊作と多くの水の象徴でもあり、イスラエルの地が祝福されていることを表している。
●スッカー
「あなたがたは七日の間、仮庵に住み、イスラエルで生まれた者はみな仮庵に住まなければならない」(レビ記23:42)。
スッカーには二つのシンボルがある。出エジプト後にイスラエルの民が住んでいたテントを思い起こすこと、収穫後に畑や果樹園に残った作物で、イスラエルの地に於ける自分達の存続が守られているという、一時的また依存的な次元を思い起こすことである。
第二神殿時代にはスーコット祭に特別な地位が与えられていた。神殿参拝以外に、バビロン捕囚後にシオンへ帰還して神殿を建設した者達は、このお祭りにとても親近感を持っており、神殿時代にはエルサレムで大きな喜びを持ってお祝いされていた。
ネヘミヤ記にその様子が記されており、シオンへの帰還時代(紀元前6世紀)、それ以降の記録としてはミシュナー(口伝律法書)、同時代の他の文献と第二神殿破壊に近い時代まで(1世紀)である。聖書ではエズラとネヘミヤの時代に関してこう書いてある:
「律法のうちに主がモーセに命じられたこと、すなわちイスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。エズラは初めの日から終わりの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。人々は七日の間、祭りを行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた」(ネヘミヤ記8:14)。
後の時代のミシュナーには、神殿に於けるスーコットのお祭りに関する記述があり、時には楽しく、時には苛立つ内容ではあるが、命と活力で溢れ返っている。