一年で最も早く安息日に入るのが今日(12月5日)で、この日をショート・シャバットと呼ぶ。また朗読する聖書の個所はヤコブがエサウと出会い、ラケルとお別れする部分でもある。ヤコブはエサウとの出会いで子供達を危険に晒さない一人で出かけた。天使との相撲で勝利した後にイスラエルという名前を受ける。
今週の聖書朗読箇所には、、我々の祖父ヤコブの長い歴史、屈折した苦労が多く、様々な心痛、挫折感や苦悩がある歴史の中で最も感動する場面である。先週はラバンの所で20年間修業した聖書の箇所であり、朝から晩までアラム人のラバンの為に働かされ、とても苦役で奴隷のような状況でもあったが、ヤコブはやっとラバンから解放されて永遠の友好の証である和平条約を結んだ。
「ヤコブはひとりあとに残ったが」(創世記32:24)、この表現にはどれだけの悲しみが込められていることか。「ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした」、エサウの右腕だった者だ。ヤコブには多くの息子がいたのに何故一人で残ったのか。自分の命がかかった戦いを目の前にして、何故同じ聖書の箇所にシケムで虐殺を行ったことが記されているシモンやレビのような強者の息子達を連れて行かなかったのか、ユダもいたのに。しかしヤコブが一人残ったのは、子供達を危険に晒したくなかったからである。自分に矢が刺さったとしても子供には被害を及ぼしたくなかったからだ。
そしてヤコブは闘い続け、もものつがいが外れるまで闘った。こんなに大変な苦痛を伴っても最後に彼は勝利し、全く諦めず、降伏せず、組み付いたままその人から離れようともしなかったので、最後にエサウの右腕の者に「夜が明けるからわたしを去らせてください」とまで言わせた、「私の任務は終わったので帰らせてください」という意味だ。
「わたしを祝福してください」とヤコブは言う。その時に天使が「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい」と伝える。祝福と名前を与えた後に神ご自身が現れ、ヤコブに対して「私のために祭壇を建て、全国に神の名を広めたあなたの祖父アブラハムの道をあなたは歩み、神を信じて行きなさい。あなたの名はヤコブではなくイスラエルである」と告げる。
世界中の名前が存在している中で「イスラエル」という名前を選んだのだ。約束の地を最初に与えられ、家族を連れてきた「アブラハム」という名前で呼ばれるのが当たり前であっただろう。我々は全員アブラハムの子孫だ。イサクの名前でもよかったはずだ。でも違う、ヤコブのセカンドネームは「イスラエル」であった。何故イスラエルの民、イスラエルの神、イスラエルの地と呼ぶのに、アブラハム、イサクやヤコブの名前が使われなかったのか。
何故ならばこのイスラエルという名前が素晴らしいものであり、興味深い意味があるからだ。我々には3人の祖父と4人の祖母がいる。アブラハム、イサク、ヤコブ、サラ、リブカ、ラケルとレアだ。「イスラエル」(ヘブライ語:ישראל)という5文字を取ると、その5文字は我々の祖父母全員を映し出す鏡のようになっている。Iはイサクとヤコブ、Sはサラ、Rはリブカとラケル、Aはアブラハム、Lはレア。「あなたの名はイスラエル」、祖父母全員の頭文字が入った究極の名前である。
*イスラエル・チーフラビ、イスラエル・メイール・ラオ