エルサレムだけではない:ラキシとアゼカの破壊

 とても正確で明確な時間と地理的場所を垣間見れる聖書の箇所はそうありませんが、この箇所はとてもエキサイティングで劇的な事例です。エレミヤ書(23章6節)ではこう書かれています。「そこで預言者エレミヤはこの言葉をことごとくエルサレムでユダの王ゼデキヤに告げた。その時バビロンの王の軍勢はエルサレム、および残っているユダのすべての町、すなわちラキシとアゼカを攻めて戦っていた。それはユダの町々のうちに、これらの堅固な町がなお残っていたからである」。

 同時期にバビロンの王ネブカドネザルとその軍勢はエルサレムを包囲し攻めていた。全てのユダの町から残ったのはたったの二つであり重要で有名な町であった。アゼカとラキシだ。これは紀元前586年のエルサレム破壊の夜に存在していたユダヤ人居住区の様子を提供してくれます。当時エルサレムが首都で主要都市であり、それ以外に二か所の要塞都市、アゼカとラキシだけが残っていたということです。

 1930年代に行われたラキシでの考古学発掘で、古代ヘブライ文字で陶器の破片に書かれた碑文が発見された。「我が主が与えた全ての見張りにラキシの松明を、と伝えよ。何故ならアゼカが見えないからだ」。この古文書を書いた人が現代語で言いたかったのは、「我々はラキシの松明を守ってラキシの松明を見ているが、アゼカがもう見えない」という内容である。

 この説明はラキシとアゼカの要塞都市を遠望していた前哨基地の駐屯兵によって書かれたものである。この手紙を書いた兵士はラキシの松明が場所を示すためにかがり火として残されているのを見ていたはずです。そしてラキシの朝の見張りが出てくるのを見たはずですが、アゼカが全く見えておらずアゼカは既に破壊されていたのです。

 この陶器の古文書は、2個の要塞都市がまだ存在しているエレミヤ書第23章より後の時間軸であることを教えてくれます。古文書では既にアゼカは破壊されているからです。この兵士がまだ知らなかったのはもう少しするとラキシも破壊され、その後エルサレムも破壊されるということでした。今日(7月30日)はエルサレム神殿崩壊日であり、聖書や2,500年前のラキシの手紙として残った陶器の欠片から、これらを学ぶことができるのです。

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