ユダヤ教では身体を浄めるために沐浴というものがあります。特にユダヤ教徒の女性は毎月のものが終わってから必ず沐浴をして身体を浄めてからでないと、旦那と一緒に寝ることも禁止されています。そのユダヤ教の沐浴からキリスト教の洗礼というものが生まれていますが、よく想像図では洗礼者ヨハネがイエスの頭の上に水をかけている絵画がほとんどです。想像図というのは殆ど間違っていますので、その違いについて説明しておきます。
まずユダヤ教では沐浴場に使用される水は、貯水槽などに溜まった雨水の上辺だけの水が沐浴に適した水となっています。ヨルダン川の水はガリラヤ湖に溜まった雨水の上辺が流れてくるので自然に適した沐浴の水なのです。そのために洗礼者ヨハネはヨルダン川で沐浴を施していた(マタイ3:13、マルコ1:9)のです。それも川の中でやっていたのではなく、ちゃんと川岸に沐浴場となる穴を掘り沐浴を施していたことが想像できます。今日の学者達の間ではヨルダン領内で行っていたという見解になっています。
沐浴する人達はまず指輪やイヤリングなどを含んだ全てのものを外さなければいけない決まりになっており、全裸になって生まれた時の状態に戻らなければなりません。そしてラビが見ている前で自分で水の中に頭のてっぺんまで三回ズボンズボンと入ります。その時に髪の毛一本でも水の外に出ていてはならないのでそれをラビが監視しているのです。イエスも全裸になり自分で沐浴場に入り、ヨハネはそれをただ見ていただけで何もしていないということが理解できると思います。
水の中に三回入るのは母親のお腹の中にいる赤ちゃんの羊水に戻ることを意味しており、そこから出てくる自分は赤ちゃんのように無垢な身体という意味を表しています。ユダヤ教改宗の最後のステップとして沐浴があるのも、自分は新しくユダヤ人として生まれ変わったということを表しているのです。
これがユダヤ教の沐浴の方法と意味であり、イエスの時代も全く同じことがなされていたわけです。ただ毎回毎回このような沐浴をすることは大変面倒なので、キリスト教ではこれが簡潔化されて現在の頭にだけかける洗礼というものに変わっていったのです。
そのキリスト教でも浸礼という儀式もあり、水の中に入った信者さんの両脇を抱えて後ろに倒して起き上がらせるという方法は映像でも見たことがあるかと思います。後方に寝かすことは古い自分が死んだことを表しており、起き上がらせるのはキリスト教徒として復活したということを表しています。
次回はヘブライ語について。