イスラエルには、地域で最多の210か所以上の水道トンネルの泉

 大量で力強い安定した深刻な水源不足と、年間雨量の季節的と年間的変動を含んだ半乾燥地の地中海性気候などの様々な環境条件により、歴史を通じてイスラエルの山岳地帯に人間が定住しに来ることは困難となっていた。これらの条件により、変動的で不安定な供給がされる地層泉などの、山で唯一辿り着ける水源付近に人が住み着くようになった。「イスラエルの山岳地帯で人間が利用できる唯一の水源は、とても少量の帯水層を排水する地層泉であった」と、2002年に研究を行ったアモス教授は語った。

 これらの理由から、このような地域に生活する人間は、地下水まで地表からトンネルを掘り、人工的に泉の水供給量を拡大する為に屈力した。「水道トンネルの泉」と呼ばれるこの解決案は、地域住民の水文学的知識と高額的能力に基づく革新であり、古代の地域の居住地繁栄に大きく貢献している。多くの場合、水道トンネルの泉は小さな灌漑システムのメインパイプとなり、その重要性は大きく、年中一年草の野菜や穀物を山岳地域で栽培することが出来た。水道トンネルとそれに関連した灌漑システムは、イスラエルの山岳地帯で、我々が見ている段々畑の景色を形作った基本に大きく関係している。

 考古学研究所博士課程のアズリエル氏、地球科学研究所のアモス教授と考古学研究所のウージー教授の共同指導の下、ヘブライ大学研究者達のチームにより、過去数年間にイスラエル全国で水道トンネル泉の調査が実施されている。調査の一部は最近Enviromental Archaeology誌と「地理学の地平線」誌に掲載され、アズリエル氏、アモス教授とシャウル学者による泉に関する統計分析も一緒に掲載されている。この論文上で、イスラエルには210か所以上の水道トンネルの泉があり、中近東ではこれほどの数は何処にもないと記されている。殆どがイスラエルの中央山岳地帯にあり、最も密集しているのはエルサレム山脈で、カルメル山やガリラヤ山脈にも量的には少ないが存在している。研究者達は、エルサレム山脈で知られている第二鉄器時代(第一神殿時代のユダ王国)の水道トンネルは、世界で最古のものと想定している。

 「水道トンネルの泉には、イスラエルの地方村の存在的、経済的安全に重要な影響を及ぼしたが、この現象に関する我々の知識には未だ限度がある」と研究者達は記している。水道トンネルを古代人が掘る考えに至ったことや、古代の経済と入植に関する影響を検討する為に、研究者達は調査中にエルサレム山脈のスペースセルを研究所として利用した。このスペースセルは、特殊な4つの条件がある為に研究作業に最適であり、イスラエル全国の水道トンネルの3分の1(70か所)、基本的な考古学マッピングとアクセス可能なエリア、青銅器時代中期から現在までの広大な農村地帯と唯一の中心都市(エルサレム)、それと対照的なグループとして使用できる、水道トンネルが無い未開発の泉の大規模なグループである。

 この目的の為に130か所の泉(水道トンネル付き70か所、水道トンネル無し60か所)と、各泉の21個のパラメータに基づいてデータベースが作成された。データの統計と空間分析に基づき、古代人が地層泉に水道トンネルを掘り込むことになった基準をランク付けした特殊なモデルが作成された。「研究の想定では、この地域に住んでいた人間達は、各地層泉の現場の地質学的、物理的、空間的条件を熟知しており、そこに水道トンネルを掘るかどうかを決定したということである。我々はそれを模索しようと試みた」と研究者達は説明した。

 エルサレムの旧市街への関連性とアクセスが、泉に水道トンネルが存在するか「予測できる」最も重要で主なパラメータであった。殆どの水道トンネルは旧市街から徒歩約2時間の範囲内にあり、2時間半以上を超えると水道トンネルの数が大幅に減少している。したがって水道トンネルの泉の拡散状況により、山の本筋にある古代都市の農村空間を定義するためのツールとして利用することが出来る。研究者達は水道トンネルの泉の開発が、この地域の居住地拡大、開発と繁栄のカギを構成する要素であることを発見し、それに投資された多大な努力の意味を説明していると述べた。

 「エルサレム山脈に初めて農村集落が現れたのは、新石器時代であった。まだ人口が少なかった間は、小さな地層泉のような天然の水源で十分であった。青銅器時代中期にエルサレムの町が建設されて以来、主に鉄器Ⅱ時代以降は人口が増加し、それに伴って食料、農作物、飲料水と灌漑用水に対する需要が高まってきた。レファイーム・ソレク川流域の東部は、町に近いこと、泉の密集、アクセス、地質学的傾斜が緩やかなことと谷が広いことなどの物理的な利点がある為に、農業開発に特に適していた。その為にこれらの流域は、数百年間又は数千年もかけたプロセスで、エルサレムの農村地帯の中心部となった。これは段々畑が最も高密度にあり、乾燥農業であったことの証拠となっている、水道トンネルの泉と灌漑農業の密度によって特徴づけられている地域の景観に反映されている」と研究者達は説明した。

 言い換えれば今回の研究では、エルサレム旧市街の西側に位置するソレク川とレファイーム川の流域に沿って存在する多くの物理的利点を発見した。広い川、緩やかな地質学的傾斜、作業と乾燥農業の最も集中的なカバー、イスラエルで最多の水道トンネルの泉、そして町への容易なアクセスである。これらはエルサレムの農地中心部の開発が、歴史を通じてこれらの流域に何故あったのかを説明している。この研究は、エルサレムのヘブライ大学考古学研究所スーザン・ロジャー・ハートグセンターによってサポートされている。

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