「黒で美人」から「黒人」まで:古代ユダヤ人の肌色

 ハーリーとメイガン夫妻はオフラとのインタビューに於いて、「生まれる時にアーチーの肌色がどれだけ濃くなるかの懸念と会話が宮殿であった」と暴露した。これが引用されて起きた騒動は、実際に何が問題なのかを教えてくれる。肌色はいつも人類の歴史で議論され、ユダヤ人の肌色も同じだ。

 友人が過越し祭のハガダー(祈祷書)に注意を促し、エジプト人は茶褐色で醜く、その隣に美しいアシュケナジー系ユダヤ教徒の絵が描かれており、多分ラッシーの「ここでお願いする、私は知っていた」の影響なのかと思われる。「ここでお願いする、貴女の美しさを気にする時が来た。長い間貴女は美しい事を知っており、今我々は黒人の兄弟である黒い醜い人達の中から来て、彼に似た美しい女性には慣れていない」(創世記19章注釈)。

 友人は出版会社に連絡し、そこからの回答ではエジプトにいたユダヤ人は白人であり、アシュケナジー系ユダヤ教徒で、エジプト人は黒人で醜かったとのことであった。友人は彼等に対し、ダービー・エリエゼルの文章の言葉を教えた、「ノアを息子達に祝福しなさい…セムとその黒く容姿の良い息子達を祝福しなさい…ラハムとカラスのように黒い息子達を祝福しなさい…ヤフェットと全員白色で美しい息子達を祝福しなさい」(24章)。これを元にすれば、ユダヤ人は黒人から出ていることになる。

 私はこのユダヤ教徒出版社編集者達に対し、また一般的にユダヤ人が白人であると仮定している人達に対し、ラビ・イシュマエルが唐人おユダヤ人達の肌色を描写している文章に注意を促したい。「ツゲの木のようなものであり、黒人でなければ白人でもない、中間だ」。英語に訳されたラビ・イシュマエルの言葉は、「エチオピア人のような黒人ではなく、ドイツ人のような白人でもなく、中間だ」。

 ユダヤ賢者達は、自分の愛人の事を「黒く美しい」と書いたソロモン王の言葉に驚きを表明している。賢者達は議論した、「”私は黒く美しい”?もし黒いなら何故美しいのか?美しい黒人がいるからか?」。トセフタに記された有名な教えではこう書いている、祝福「黒人を…赤毛を…小人を見る者はこう言う:人を変えた者を祝福せよ。手足が無い者、足を引きずる者、障碍者、腫れものがある者へはこう言う:真実の裁判者を祝福せよ」。

 これらの祝福は、ユダヤ賢者達の他人に対する態度に関して何を教えているのか?人がこれらの祝福をする時に、自分と他人とをどう認識しているのか?何故ユダヤ賢者達は、外見が違う人と出会った後の祝福を決めたのか?”他人”と決めたのは一体誰か?これらの教えは神の生きた言葉として受け取るのか?この姿勢はユダヤ教の立場を表しているのか、それとも特定のユダヤ賢者だけのものなのか?

 最初と最後の書物を含むタルムード全体の多くの情報源は、自由で民主的である世界観の現代人が読んで理解するには難しい。しかし今日でもこのような姿勢を表すユダヤ教ラビ権威にどう対応するのか?これらの社会認識から教えが生まれている。

 我々の世代に於ける前述の祝福の律法的存在問題は最も不可解である。約150年前にラッシャル・ヒルシュが聖書の注釈書で、黒人女性と結婚する者は自然に反した行為であり、心から容認できないことであり、それは道徳的腐敗の象徴だとも書いている。「同様の道徳的腐敗は、ユダヤ部族に黒人が生まれる生理学的腐敗に相似している。そしておそらくここでも同じことが言える。黒人女性との生活は、自然に反しており、心から容認されないことと考えられている」。

 つまりユダヤ教の情報源でも階層的な概念があり、ユダヤ賢者達が天使ではなく人間であったことを示している。この姿勢は、ユダヤ教が本質的に人種差別的、又は排外主義的であることを証明するものではなく、「これらの姿勢は今日の我々が人種差別主義的と定義しているだけで、当時の文化においては普通の事であった。勿論現代の学者やラビがこのような姿勢を支持しているならば違う話だ。それは本当の人種差別であり…徹底的に非難されるべきで、ユダヤ教の世界観からも完全に拒否されるべきである」(アブラハム教授)。

 ところでシオニズム指導部では、「フラッシーム」(エチオピア系ユダヤ人)としてイスラエルへエチオピア人を帰還させることに反対した者もいる。「モロッコ系よりワイルドで、数百年遅れている人達だ。遺伝子的病気の懸念がある。彼等のユダヤ教伝統も疑わしく、ユダヤ教に近寄ることを支援することは出来る」(1960年代に離散ユダヤ教教育文化課責任者のゼエブ氏に贈られた、ハイム氏の手紙から引用)。

 今日お陰様でエチオピア人会衆派イスラエル社会の一部となっている。イスラエルのエチオピア系ユダヤ人の結婚の16%は、相手がエチオピア系ではない人と結婚している。新聞記者のドロール氏が記したように、これはアメリカでの黒人と白人間との結婚率の2倍近くである。スファラディ系とアシュケナジー系間、アシュケナジー系マパイ政党設立者の孫達とアラブ系ユダヤ人帰還者の孫達間との結婚は75%以上にもなっている。ドロール氏によると、「イスラエルは混血では世界で1位であり、最も効果的な方法である結婚で行われている」とのこと。

 エチオピア人会衆は、もう長い間イスラエルの文化と法律のモザイク構造の不可欠な一部となっている。この見解は力を与えることであり、その反対ではない。エチオピアの宗教文化は、人生の否定的な側面より、肯定的な側面を強調する習慣がある。エチオピア文化は、現実とは良いものだという事を教えてくれた。この見解は無垢、弱さや無力さからではなく、知恵、強さと正しい選択から来ている。現実は挑戦的であり、白黒で色付けされていない。

 白黒というならば、エチオピア系ユダヤ人の最初の帰還者世代が、現在イスラエルをどのように見ているかを学ぶチャンスでもある。生きた奇跡、しかし我々のイスラエル人社会では、部分的な観点から他人に対応する傾向が根強くあると思われる。我々は白黒、又は賛成か反対かという2文法の会話を良くする。現実は複雑であるのに。

 アシュケナジー系全員が左翼ではないし、スファラディ系全員がメズーザにキスして賢者の墓を崇拝する訳ではない。アラブ人全員が反シオニズムでもないし、ユダヤ人全員がシオニストでもない。我々は世界を「汚れ」と「純粋」に分ける二次元的なメシアと、超純粋なメシアから遠ざかる必要がある。

 このような話は社会的団結を傷つけ、第二神殿時代でも様々なグループ間で亀裂を生んだ。高い汚れたレベルに属しているイスラエルの民と、低い汚れたレベルに属しているイスラエルの民との間だ。この習慣は、カムツァという名の父親が、息子のバルカムツァと一緒に座ることも出来ないという、耐えがたい社会的現実を生み出した。聖書の律法を遵守するという強い願望は、人と友人との正常な人間関係の価値に重大な被害をもたらした。

 問題は人は自分の背中が見えないことである。アビ教授は、伝統的な生活を批判することは出来ないと言っている。「眼鏡をかけるのと全く同様で、それを通じて見えるけれどもそれ自身は見えない」。社会生活も同様である。自分達の眼鏡を一度外し、全体的に現実を見ることを試みる。人生とは白黒ではない。

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