「政治的な革命だけではなく、歴史的な革命だ」。1977年総選挙

 第9回国会総選挙の結果は、1977年の5月17日に投票所へイスラエルを導いた全ての事を覆した。独立後初めてマパイ党とその後任であるハマアラフ党が政権を失ったのだ。この時が初めてイスラエルの総選挙で、「革命」を国民に告げた選挙事前調査が使用された。

 第9回国会総選挙前の時期は、結果より大騒ぎした時代でもあった。アメリカはイスラエルに対してパレスチナ人と交渉することに圧力をかけ、信者グループメンバーは西岸地区の入植に力を入れていた。国内の経済状況は大変で、上層部の多くが賄賂で訴えられた。

 イツハック・ラビン首相の最初の政府メンバーが長続きしないのは明確であった。最終的な政治危機の原因となったのは、安息日前にF15戦闘機の受入式典から、自宅に戻ることが出来なかった大臣達の一部が出たことによって起きた安息日冒涜に対する批判で、野党が提出した不信任案の採決であった。ハマプダル党の二人の大臣は棄権し、ラビンは彼らの棄権を辞任と決定した。閣議を集めて解散を宣言し、イスラエルは総選挙に入ったのだ。

●1977年第9回国会総選挙:

有権者数 223万6,293人

投票率 79.2%

政党数 22

最低獲得票率 1%

 総選挙の数か月前に首相の妻であったレア・ラビン氏が、アメリカでドル口座を持っていることが暴露され、イスラエルの法律ではそれを禁じている。政府法律顧問役のアハロン・バラク氏は二人を裁判に訴えることを発表したが、イツハック氏が休暇に出てハマアラフ党のリーダーを辞任した為に、バラク氏は首相の妻だけを起訴することを決定した。

 ハマアラフ党リーダーとしてラビン氏の後任になったのがシモン・ペレス氏で、ラビン氏に僅かな差で負けていた。ラビン氏が辞任した後に、政府顧問は彼を起訴せず、妻のレア氏が起訴されて25万リラの罰金判決を受けた。

 第9回国会総選挙で炎上したテーマの一つは、系列別差別の感情であった。総選挙は、アラブ諸国からの多数の帰還者による国内の人口変化によって起きた、段階的で継続的なプロセスのピークをもたらした。イスラエルに戻った新しい帰還者達は、政府当局側の傲慢さを目の当たりにし、マパイ党による差別を感じていた。

 独立初期のアラブ諸国の帰還者に対する対応は、ベングリオン氏とその後任者達による規制の元で強制された、家族と宗派の伝統への抑圧と、社会主義思想の精神で「新人間」を作る「人種のるつぼ」政策を適用する試みにより、最終的に左翼政党離れと、リクード党への支援拡大を引き起こすこととなった。古参の傲慢な態度に対する厳しい感情が長年継続したが、殆どのアシュケナジー系支配層の人達もついに革命を支援した。

 アラブ諸国からの帰還者に対する支援にもう一つ重要な寄付をしたのが、ベギン氏が推進していた、地方居住区で成長した若者リーダーの起用が地方行政レベルで成功し、自己の政府内の主要ポストに彼らを参加させた。独立後から初めてスファラディー系ユダヤ人達の多くが、国家事項の運営の一部に参加できることとなった。

 第9回国会に選出されたカラフルな人物の一人がプラト・シャロン氏であった。1975年にイスラエルへ帰還したフランス系ユダヤ人で、帰還直後にフランスで容疑をかけられていた深刻な経済犯罪の疑いで国際指名手配された。

 プラト・シャロン氏は自身の政党を作って選挙に臨み、議員となれば彼を引き渡すことも不可能になるであろうという考えもあったと思われる。プラト氏は「国会の独り者」というあだ名で一人だけの政党で参加し、「フランス裁判システムによって迫害されているユダヤ人」として彼を救う必要性を強調していた。

 彼は自身の事を経済問題を解決できる成功したビジネスマンとして描写し、彼の有名な質問である「国の為に何をしたか?」という問いかけは、グレーな政治家達に向けられていた。プラト氏は2議席獲得に成功したが、単独政党として国会に選出された。議員就任から2年後に、選挙法違反の疑いで訴訟が起きた結果、国会は彼の議員としての免責権利をはく奪した。彼は有罪判決を受けたが、上訴後に奉仕活動が課せられた。

 いつもの総選挙のように、この回も問題だらけであった。例えばメイン総選挙委員会メンバーは、早朝5時に国会に到着したが門が閉まっており、国会に入るまでに1時間待たされることとなった。

 この総選挙では初めてテレビで選挙事前調査が行われた。夜23時からテレビで総選挙特番が放送され、事前調査の結果発表と共にナレーターのハイム・ヤビン氏が「革命」と伝えた。

 ハマアラフ党の選挙本部では落ち込んだ空気であった。調査結果発表前に既に現場から政党の重要な二人、イツハック・ラビン氏とゴールダー・メイヤー氏の姿が無く、自宅から結果を聞いていると伝えられた。早朝3時頃にハマアラフ党の本部には、議員も支援者も誰もいない状態であった。

 その前の夜中1時35分には、ハマアラフ党の党首であったシモン・ペレス氏は、テレビの事前調査結果に関してこう答えた。「猛烈な打撃を受けたのは疑いの余地はない。それをうやむやにして隠す必要もない。政党内で反省する必要がある」と伝えた。彼の友人であるヨッシー・サリッド氏は、「失敗の原因は、長期間の政権継続と、不必要な銀行口座」と結果に関して説明した。

 もう一人選挙本部の外で調査結果を聞いたのはアリエル・シャロン氏で、テルアビブのレストランで家族と過ごしていた。彼の妻のリリー氏は友人に電話をし、予想結果を伝えた。「それを聞いた夫はとても喜び、茄子の肉詰めを食べ続けていた」と語っている。朝の3時に彼はテルアビブの本部に到着し、暖かい握手で迎え入れられた。

 朝の2時半にベギン氏はテルアビブのベイト・ジャボティンスキーに到着したが、正式な結果発表がなされるまで正式なコメントは避けた。時の経過と共にテンションは上がり、議席が増加していく政党の支援者達も歓喜した。

 即席で用意された会場の周りには、数百人のリクード支援者が集まり、会場内と屋外の群衆は「アム・イスラエル・ハイ」(イスラエルの民族は生きている)という歌を何度も歌い、ベギン氏を長年支援してきた。時々歌詞が「ベギンの政府」という言葉に変わっていた。

 最終結果が発表された後に、ベギン氏は興奮した演説を行い、まず彼の妻のアリーザと子供達に感謝した。「今日ユダヤ民族とシオニズムの歴史で変化が起き、こんなことは過去46年間で前代未聞である。市民はハマアラフ党の奴隷ではないと証明したのだ」と語った。

 当時の記事にはとても荒れた総選挙であったと描写されている。投票日には編集長であったヘルツェル・ローゼンブルム氏の社説が掲載され、市民に投票することを呼びかけている。「今回の総選挙は普段の選挙とは違う。運命の大きさに関してはこのような選挙は今までなかった。今回は冗談ではなく、最も真剣な選挙である。3世代の努力によって建設されたこの国が、そのまま立ち続けるか、それともエピソードとしてのまま残るか、歴史的な結論を出す時である。投票に来ないのは3種類の市民のみで、海外渡航中、病人か法律的に投票できない者。それ以外の市民で投票に来ない者は許されず、どんな言い訳してもだめだ」と伝えている。

 総選挙翌日の朝刊の見出しには、「ハマアラフ党の完全な敗北」と飾っている。「総選挙の最初の結果が知らされた時に、予想外の範囲で革命が夜中に起きた。選挙で起きたのは変化ではなく革命だ。議員でもこれを予想しなかったであろう。革命は政治だけではなく、歴史の革命でもある」。

 世界各国でも選挙結果が反響を呼んだ。ワシントンでは特別会議が行われ、アメリカ政府は勿論民主結果を尊重すると伝えた。ヨーロッパではイスラエルの外交硬化に対して備えた。

 パレスチナ人の間では、総選挙の結果に関しては意見が分かれた。シケム市長は、リクード党の勝利は地域戦争をもたらすと語った。「ハマアラフ党の敗北は予想されていたが、右翼のみがそれに乗じて勝利するとは考えてもいなかった。現状は複雑化してしまい、この地域で近い将来に戦争が起きる可能性も残している」とも語っている。

 それに反してトルカレム市長は何も変化は起きないと考えている。「ハマアラフ党は様々な政治危機の結果敗北した。これは予想されていた。リクード党が政権を握ることになったが、この地域の良い悪いを決めるほどの事でもなく、両政党の行き先は同じである。リクード党もハマアラフ党もその危険性は同じだ」と語っている。

 1977年総選挙には22政党が立候補し、13政党が最低獲得票数を越えて国会に議席を獲得した。

●第9回国会:

ハリクード党 43議席

ハマアラフ党 32議席

ダッシュ党 15議席

ハマプダル党 12議席

ハダッシュ党 5議席

聖書ユダヤ教 4議席

シュロミツィヨン 2議席

我が陣営 2議席

プラト・シャロン 1議席

共同アラブ党 1議席

聖書陣営 1議席

市民権利運動 1議席

進歩党 1議席

 ハマアラフ党は左翼内閣を連立させることが出来たが、ハマプダル党がベギン首相内閣の「自然のパートナー」といち早く宣言し、「歴史的同盟」として知られていた左翼政党と宗教シオニスト政党との長い関係に終止符を打った。

 ハマプダル党以外に、ユダヤ宗教政党も役職の無い与党に参加した。ハマアラフ党のモーシェ・ダヤン将軍は線を越えて外務大臣に任命された。この内閣は62議席のみで構成されていた。

 ダッシュ党との連立交渉も容易ではなく、政府は最初この政党抜きで始まった。4か月後に相互の努力が実ってダッシュ党も政府に参加し、77議席獲得することとなった。

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