「ハマアラフ」政党設立とガザで投票:1969年総選挙

 六日戦争(第三次中東戦争)の大勝利は、アラブ諸国との決着がつかず、又は政治的進展も無かった消耗戦争(第二次中東戦争)の失望と入れ替わった。1969年の総選挙の政治マップには、ユダ・サマリア地方の将来に関する話と、左翼政党の大きな統一政党「ハマアラフ」政党の誕生でもあった。

●1969年第7回国会総選挙:

有権者数 174万8,710人

投票率 81.6%

政党数 16政党

最低得票率 1%

 第7回国会総選挙は、初めて「ハマアラフ」党をこの世に生み出した。マパイ党と労働統一党から構成された「ハアボダ」与党政権が、マパム党とラフィ党とも結合し、共同政党となった。

 この共同政党は国内の全てのシオニスト労働政党を統一し、イスラエル国史上最大の議席数である56議席を獲得した。しかし実際の所、その前に行われた1965年の総選挙と比較すると、共同政党は別々の政党の時より7議席減っていた。。

 これが初めて総選挙に於いてユダ・サマリア地方の将来に関する話が持ち上がった時であった。政治にはパレスチナ人との和平と、六日戦争後の占領地区を返還することを要求する新しい政党も加わった。

 しかしユダ・サマリア地方とガザ地区の現場では比較的静かで、イスラエルとの商業や労働の開設と共に、地域住民の経済的状況に改善が見られた結果であった。ユダ・サマリア地方からイスラエルが撤退し、政治的取り決めをまず行うことをアメリカと西ヨーロッパ諸国が提案したが、イスラエル国内では大きな賛同を得られなかった。また国内では緊急な内容ではないと感じられ、イスラエル・パレスチナアラブ問題の早期の解決も必要と思われなかった。

 ゴールダー・メイール首相は、攻撃的な政治戦略を用いて全く妥協せず、これもアラブ側には同意に至ることを可能とする話し相手が全くいないというスタンスであった。イスラエル国内や世界中のイスラエル関連施設に対するパレスチナ人テロ攻撃が発生し、彼女のこの感情は余計に強化されていった。

 ゴールダー首相はパレスチナ人を全く信用せず、このような民族は存在しないという否定者であった。時には「私がイスラエルの地に帰還した時には、”パレスチナ民族”というのは存在しておらず、”私達も全員パレスチナ人”であって、証拠を見たいなら私の古いポスポートにそう書いてある」とも語っていた。

 総選挙前夜に彼女は英語でインタビューを上、このテーマに関しては揺るぎが無かった。「パレスチナ人などない。パレスチナの地で独立していたパレスチナ民族とは、歴史上いつ存在していたのか?第一次世界大戦前には、この地域と全ヨルダンを含んでシリア南部と呼ばれていた。過去にパレスチナの地にパレスチナ民族というのがいたのではなく、彼ら自身もパレスチナ民族と考えていたのでもなく、我々がやってきて彼らを追い出し彼らの国を奪ったのでもない。彼等は一度も民族ではなかった」と語っている。

 選挙現場を取材している記者からは、とても静かな選挙で、有権者の一部は無関心であると伝えている。「特に若い有権者を含んだ国民の多くは政党と、現実には実現しない無意味で決まり文句のスローガンを見下し、イスラエルで通常の投票率より下がらないことを願うばかりだ」と記されている。

 消耗戦でイスラエル兵士がイスラエルの国境線で闘っている時に実施された総選挙であり、総選挙によって人事の変化が要求されていた。通常投票場所はイスラエル軍国境警備隊によって警護されていたが、警察が数千人の警官を動員して投票所を警備した。

 投票所開設から最初の2時間は、とても静かで落ち着いた雰囲気だと記者が伝えている。「首都の有権者達は、選挙日を休日として過ごすことに決めたらしい」と書かれている。「この記事が書かれるまでに、アラブ人有権者の動きは見られていない。ネトゥレイ・カルタでは、総選挙に参加すること自身が神への冒涜であると発表している」。

 ハイファでは最初町が死んでいるような状況であると報告され、その数時間後から有権者の動きが見られるようになった。テルアビブのハティクバ居住区選挙委員会メンバーの一人は、「もしこれだけの人が投票し続けるならば、10時に投票所を閉めることが出来る」と語った。

 政治家達は朝から全国の様々な投票所に現れ、彼らも有権者として市民の義務を果たした。イスラエル大統領ザルマン・シャザール氏は、大統領官邸の近くにある投票所で7時30分に投票し、ゴールダー・メイール首相は9時頃に投票所の列に並び、国防大臣のモーシェ・ダヤン将軍は、テルアビブのツァハラ居住区の投票所で7時に投票した。軍関係者、市民、警官や税務署などのガザ地区での有権者全員は、兵士用の軍投票所で投票を終えた。

 アッコーの選挙委員会メンバーは、総選挙当日の朝に全ての投票用紙が濡れており、使用できなことを発見して驚愕していた。軍用選挙委員会メンバーは、エジプトから砲撃を受けて戦場の一部を味わった。「エジプトからの攻撃が終わるまで、委員会メンバーはシェルターに隠れ、その後次の投票場所へと移動していった」。

 テルアビブでは、どのように投票を実施できるか、警察の古参調査官が自身の専門的知識が求められた。ハティクバ居住区の選挙委員会議長は、投票数を数える為に投票箱を開けることが出来なかった。その為にメナヘム・カルミ警部が呼ばれ、少しの遅れで投票箱を開けることに成功した。

 投票所の外で争いもあった。ヘルツリアでは、ハマアラフ党支援者が「ナハル党支援者に対して投票所の近くで暴れるなと説明しようと試み」をした後に大騒ぎになった。ナハル党支援者は、ハマアラフ党支援者に頭突きをして歯を2本折った。警察が容疑者を逮捕したが、その後釈放された。

 16政党が第七回国会総選挙に立候補し、その内13政党が最低獲得数を越えて国会で議席を確保した。ハマアラフ党は全体未聞の56議席を獲得、ナハル党は26議席、ハマプダル党は12議席を獲得した。

●第七回国会選挙結果:

ハマアラフ 56議席

ナハル 26議席

マプダル 12議席

聖書ユダヤ教 4議席

進歩党 4議席

国立党 4議席

ラカフ 3議席

前進・開発 2議席

聖書傘下党 2議席

協力・兄弟愛 2議席

この世界 2議席

自由センター 2議席

マカイ 1議席

 この総選挙では、イスラエルの政治マップに大きな変化をもたらさなかった。選挙後に出来た与党は、六日戦争の前夜に設立された国家ハリクード政府の継続であった。ゴールダー・メイール氏は首相を続行、モーシェ・ダヤン将軍も国防省に残った。

 ハマアラフ党とナハル党、ハマプダル党と独立進歩党が与党に加えられ、与党には合計102議席、しかしこの政府の大臣はたったの24人であった。停戦協定に関してイスラエルとエジプトとの交渉が開始した結果、1970年8月にナハル党大臣達は全員総辞職した。その辞職後でも政府は安定していた。

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