テルアビブ

 地中海にある近代都市テルアビブ。「春の丘」(エゼキエル書3:15)と名付けられたユダヤ人の近代史を象徴するこの町は、1909年にヤッフォーを出た約350名のユダヤ人達が北部の砂地を購入し、パレスチナでは最初のヘルツリア高等学校が建設されてテルアビブの町づくりが始められました。1920年代にはルーマニア系のユダヤ人達が移住してきたために商業都市として形成され、1930年代にはドイツ系のユダヤ人達が移住して文化都市として形成されていきました。その時代にドイツ系ユダヤ人によって建てられたのがバウハウスという建物で、2003年には世界遺産として認定されています。

 第一次世界大戦でイギリスがオスマントルコに勝利しパレスチナの土地を解放しましたが、解放後に約束していたパレスチナ国家とユダヤ人国家建設を守らずに委任統治したため、ユダヤ人達は地下組織を作ってイギリス軍を追い出すために動き始めます。その時にユダヤ人地下組織の拠点ともなったのがテルアビブで、当時のリーダーの一人でもあり指名手配されていたベギン首相も変装してテルアビブに潜伏していました。1948年5月14日の独立宣言もベングリオン首相によってテルアビブで行われ、翌日アラブ5か国が宣戦布告をして第一次中東戦争、イスラエルで言う独立戦争に突入します。

 ベングリオン首相の英知で西エルサレムが解放され、1949年にエルサレムを首都と宣言しましたが国連では受け入れられず、現在でもほとんどの国の大使館はテルアビブに置いてあります。同年にヤッフォーも合併し、現在ではテルアビブ・ヤッフォーという二つの名前で呼ばれるようになりました。

 国内ではエルサレムに次ぐ二番目に大きな町に発展し、エルサレムに反してテルアビブには宗教心が無いリベラルなイスラエル人が住んでおり、商業と文化の中心地であることから若い世代の人達が一番住みたがっている町でもあります。テルアビブ南部には古代都市ヤッフォーがあり、イエスの復活後、一番弟子であったペテロがタビタを復活させ(使徒行伝9:36)、皮なめしシモンの家で幻を見てカイザリアのコウネリオを異邦人としては初めてキリスト教に改宗(使徒行伝10:1)させたことが新約聖書に記されています。

 テルアビブ博物館でシャガールとクリムトの絵画を見学し、カルメル市場で搾りたてのフレッシュジュースを飲み、ヤッフォーの港でワインと海鮮料理を食べながら、地中海に沈む夕日を眺めるのも旅行の素晴らしい想い出になると思います。

*​テルアビブ・ヤッフォーとカイザリアのフォトアルバムはこちら:

 日本大使館やサロナマーケット近くの「テルアビブ美術館」の所蔵は驚くほど名画だらけ!モネ、ルノワール、ゴーギャン、シャガール、ピカソ、クリムト、名だたる画家たちの珠玉の作品が贅沢に並んでいます。日本だったらその一枚を軸として展覧会が開かれ混雑必死の作品でも、テルアビブ美術館では絵と対話するように静かにじっくりと鑑賞できます。

 中でも必見はシャガールの作品の数々。ご存知のようにマルク・シャガールはユダヤ人画家であり、ユダヤ教やユダヤ人をテーマにした作品が多数イスラエルに残されています。アートを通してこの地の歴史や宗教を考える機会となるでしょう。

 「接吻」で有名な19世紀末ウィーンを代表するグスタフ・クリムトの作品もぜひ見ていただきたい一枚。華やかな装飾性と世紀末的な破滅と官能が織り交ぜられた全盛期の作風とは少し趣が異なる、中国などのアジアからの影響を受けて描かれた「フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像」は大きさや美しさ共に圧巻です。

 また、イスラエルは現代アートが盛んでもあります。体験型の作品があったり、六本木ヒルズの待ち合わせ場所の蜘蛛のモチーフアートでも知られるルイーズ・ブルジョワの作品もあります。

 休館日は日曜のみですので、安息日の金・土曜日のご予定にお困りの時にも贅沢なこの美術鑑賞をおすすめいたします。

*「絵の前にはベンチが置かれてゆっくり眺められるようになっています」

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